漫画の著作権を有する出版社、音楽の原盤権を有するレコード会社、さらに特許や商標の権利者も、海賊版の出回りや発明技術の盗用を防ぐために、現実世界でも仮想空間でも日々パトロールを行っています。違法行為を発見すれば、裁判を起こしてでも差止や損害賠償を請求します。それには費用や労力がかかりますが、法的には知的財産権に基づく正当な権利行使です。では、なぜ知的財産権者がコストを惜しまずに権利を行使しているのでしょうか?その背景には、人間の心理的な傾向が関係しているかもしれません。

今回のコラムでは、経済心理学の視点から一緒に考えてみましょう。

(画像は朝日新聞ポッドキャスト#441「サイバー事件簿② 「漫画村」追い詰めたホワイトハッカーとその過去」より引用したもの)

(画像は日テレNEWS NNN2024NEN 2月29日報道番組より引用したもの)
1万円を拾ったときの喜びと、1万円を落として見つからないときのショック―どちらが大きいと思いますか?
結論から言うと、ほとんどの人が1万円を落としたショックのほうが、1万円を拾った喜びよりも大きいと感じています。心理学者の故Amos Tversky博士と故Daniel
Kahneman博士が提唱した「プロスペクト理論(Prospect Theory)」によると、人間には損失を避けたい、つまり「失いたくない」という心理的特性があります。更に、この「損失回避」の心理は、失ったものを取り戻すためにリスクを辞さない傾向を引き起こすことも示されています。

この損失回避の心理を検証するために、ノーベル経済学賞を受賞したRichard H. Thaler博士の研究チームが行った実験を紹介します。
問題1
あなたは$300もらった後に、次のどちらかを選ぶように言われたら、どちらを選びますか?
■A 確実に$100をもらえる。
■B 50%の確率で$200をもらえて、50%の確率で何ももらえない。
問題2
あなたは$500もらった後に、次のどちらかを選ぶように言われたら、どちらを選びますか?
■A 確実に$100を失う。
■B 50%の確率で$200を失い、50%の確率で何も失わない。
あなたなら、どのように選択しますか?被験者たちは、次のような割合で回答していました。
問題1
あなたは$300もらった後に、次のどちらかを選ぶように言われたら、どちらを選びますか?
■A 確実に$100をもらえる(72%)
■B 50%の確率で$200をもらえて、50%の確率で何ももらえない(28%)
問題2
あなたは$500もらった後に、次のどちらかを選ぶように言われたら、どちらを選びますか?
■A 確実に$100を失う(36%)
■B 50%の確率で$200を失い、50%の確率で何も失わない(64%)
問題1は、利益の場面で損失を回避したい人間の心理を検証する設問です。多くの被験者は、$200をもらえる機会があるにもかかわらず、何ももらえない50%のリスクを避け、確実に$100をもらうAを優先的に選択しました。これは、「確実な利益」(約束された保有利益)を失いたくない心理によるものです。

他方で問題2は、損失の場面で大半の被験者が、$100を失うことを避けようとリスクを冒し、$200を失う可能性のある選択をしました。この結果、損失を回避しようとする心理が、利益を得る場合とは逆にリスクを受け入れる行動を引き起こすことが示されています。

人間は、失うことを恐れるため、1万円を拾った時の喜びよりも、1万円を落として見つからない時のショックのほうをより大きく感じるのが、自然なことでしょう。因みに、Richard
H. Thaler博士の研究によると、失ったときのショックは、同等の利益を得たときの喜びよりも約2倍も強く感じられるとされています。

経済心理学の小話【3】で、人は自分の保有するものを過大評価する傾向があることを紹介しました。実はこれも、損失回避の心理に関係しています。
日常の身近にも、損失回避という人の心理を応用したマーケティングモデルがよく見受けられます。例えば、「商品に満足できなかった場合の全額返金」は、損失に対する不安を払拭し安心感を売りにするビジネス手法です。

また、「先着○○様限定の半額キャンペーン」は、損失回避の本能を刺激し、購買意欲を促すビジネス手法です。

冒頭の話に戻りますが、知的財産権者が権利侵害に対して費用や労力を惜しまず、訴訟を辞さない背景には、自己保有の知的財産を失いたくないという「損失回避」の心理が大きく影響しています。この心理的特性を理解することで、知的財産の保護活動がなぜ重要なのかを再認識できるのではないでしょうか。


