ChatGPTが小説を書いたら著作権者になる?ならない?

 最近、人工知能チャットボットであるChatGPTは、その想像を超えた人間らしい言語交流能力が様々なメディアで取り上げられ、話題となっています。AIというテクノロジー自体は、車の自動運転技術のように、既に聞きなれたワードと思われていましたが、ChatGPTはより身近な存在で誰でも気軽に試せるチャットボットであるだけに、人々のAIに対する新たな関心を掻き立てました。

 

 ChatGPTを学生が宿題の解答やレポートの作成ツールとして悪用するのではないかといった懸念も教育関係者の間で囁かれている中、今回はChatGPTが小説を書いたとしたら、著作権者になりうるかを考えてみましょう。なお、法制度は常に変遷しており、国によっても異なるため、あくまでも現時点の日本の著作権制度を基に検討します。

 

 現行の知的財産法制度は、人の創作活動を前提にその成果物を保護する仕組みを採用していますので、人の創作活動を前提としない成果物は現行法上、そもそも想定されていません。

 著作権法第2条1項2号で著作者が、著作物を創作する「者」と定義されており、法学上非生命体は通常「もの」という文言表記となることからも、立法当時において、著作者を人間としての「者」としか想定されていなかったことが窺えます。
また、同法第2条1項1号では、著作物という概念が「思想又は感情を創作的に表現したもの」と定義されています。ChatGPTのような非生命体には、「思想又は感情」はないと考えられているため、どんなに立派な文章を書き上げたとしても、そもそも著作物として認められないということになります。このように、著作物として認められない小説をいくら生成したとしても、やはりChatGPTは「著作物を創作する者」にはならないという、結論に帰結します。

 

 ところで、プログラムであるChatGPTどころか、動物でさえ著作者として認められていません。例えば、実際にアメリカで起きた訴訟ですが、「ナルト」という名前の黒猿が写真家のカメラを奪って自撮りした写真の著作権を巡って、連邦控訴裁は、猿が著作者にはならないことを明確に判示しました。類似の事件は、日本で起きたとしても共通の結論になるだろうと思われます

                                (黒猿の自撮りイメージ写真)

(実際に自撮りされた写真)

 ただ、「思想又は感情を創作的に表現」に該当するかどうかは、必ずしも人間と非生命体のようにはっきりと線引きできないケースも少なからず存在します。例えば、白い紙の上に絵の具をこぼすことによって出来上がる抽象画や、作曲アプリケーションを使った遊び半分の楽曲生成のような偶然性を伴う作品の形成は、「思想又は感情を創作的に表現」する行為といえるかについて、ケースバイケースに見解が分かれています。これらと比べると、むしろChatGPTのアルゴリズムのほうが、偶然性を伴わず、論理的な思考プロセスのように感じられます。

 

 2023年時点において、法学者らはChatGPTのようなAIプログラムに思想又は感情を持たないと考えています(或いは、認めたくない気持ちもあるかもしれません)。
 しかし、人間は思想又は感情的な創作活動と程遠い類人猿から進化してきたように、類人猿の進化よりも遥かに早いスピードでAIも日々自己学習し進化し続けています。いずれ「思想又は感情を創作的に表現」できるようになる可能性は、果たして否定することができるでしょうか。


 いつか、ChatGPTのようなAIマシンは著作者として著作権を認められる日がやってくる可能性が十分にあるでしょう。しかし、その頃になれば、人間にとって、もはや著作権法がどうのこうのというよりも、更に重大な決断を迫られる時を迎えるのではないでしょうか?
 テクノロジー競争と知的財産に関連するテーマだけに、考え出すとキリがないですね。
※この文章は、ChatGPTによって作成されたものではありませんので、念のために付言しておきます。

 

 



番 外 編






2023年04月24日