ゼミ討論会「力が正義か」を開催しました

 ロシアによるウクライナ侵攻をきっかけに、改めて古きアメリカのアニメからよく登場する名台詞「力が正義だ」について討論してみる必要があるのではないかと考えました。日本は民主主義の国家ですが、世界を見渡すと、既に独裁体制の国家が大半を占めるようになりました。法は正義を実現するという考え方は、民主主義の国において通用していても、もはや多くの国々において通用しなくなっているということです。日本の安全保障にかかわる周辺環境に鑑みると、いよいよ力が正義で、力が正義を実現する、という論題の現実味が、実感できるようになってきました。

 正義とは何でしょうか?人でいうなら人格や世界観によって理解が変わりますし、国家でいうなら政治体制や歴史観によって異なります。しかし、受けてきた教育や見聞きしてきた情報により、アメリカ人の多くがウクライナを支援することが正義と思っていて、ロシア人の多くが未だに「ネオナチ」からウクライナの人々を解放するのが正義と思っているように、自分自身が正義と思っているものが、実は思わされているだけのものかもしれません。

 正義は様々な場面で様々な意識形態で形成され、複数の顔を持っています。それに対応するかのように様々な正義を貫くためには、それなりの力が必要となります。裁判で勝つためには、弁護士(弁護団)の力が必要となり、判決を確実に履行するために公権力の力が必要となり、国家を防衛するために軍事の力が必要となります(口先だけでは国を守ることができない)。

 結局、力が正義かはともかくとして、少なくとも対応するための力がなければ、求める正義も実現されないということになります。

 このような背景から、5月2日に開催された月例ゼミ討論会において「力が正義か」を巡って激しい討論が繰り広げられました。
各メンバーの主張要旨は次のとおりです。

力=正義の理由 力≠正義の理由
(本橋)自分の思い通りの行動や政策を実施するためには力が必要であり、力がなければ正義を実現できないからです。 (本田)人の倫理や法律から外れて振るう力は正義ではないからです。
(相田)歴史は力を持つ者によって創られてきたので、力はないよりもあった方が正義を実現しやすいと考えたからです。 (吉野)誰しもが固有の正義を持っており、力でその思想を変えることは難しいからです。
(尾澤)力がある者が独裁者となって、政治をすることは正義だとは思わないですが、力が無い者が自分たちの正義を叶える事は、今の世の中では、困難である以上、力=正義なのではないかと思いました。 (本田)優れた力を持っている人が支配をすることが許され力がそこに存在しなければ影響力を持つことができないと思います。最終的に正義は力の持つ者が提唱するものであり絶対的な正義とは言えないと考えるからです。
(鈴木)私は正義の形が一つでないように、力の形も一つでないと思います。そのため我々が法令順守し、平和に生活させてもらっている現状は、力=正義が実現しているのではないかと考えます。 (加山)強い力を以て人々の価値観に影響を与えたとしても、実現しうるのはあくまで”大衆意見”に留まります。それ自体は正義とは別物だからです。
(茂木)「力」とは、物理的な力な強さであったり、役職や階級等の権力であったり様々ありますが、それらの力がなければ歴史上、そして現在も正義を実現するのは難しいと思うことから力=正義と考えます。 (佐藤)力を持たない者が集まれば、力を持つ者と対等になり、力を持たない団体は、力を持つ者と同じくらい影響力を持っていると思います。このことから、力は正義とはいえないと考えます。

(勝山)「勝てば官軍負ければ賊軍」という言葉があるように、力をもつものだけが正義を語ることができると思うからです。 (相葉)力=正義として考えてしまうと戦争といった正義とは程遠い行為も正義になってしまうため、力はときに正義を成し得るものとしてとらえるべきであり、力≠正義として考えるべきだと思います。
(原田)力は物理的なものだけでなく、知性や権力、影響力など様々だと思います。人によって正義が違う以上、自分の正義を貫き通す手段は力だけだと思うので正義=力だと考えます。 (高瀬)力にはさまざまな種類があるが、権力があっても筋肉があっても、戦争や喧嘩は名声や利益などを求める私欲のぶつかり合いであり、そこに正義は存在しない。
(大曾根)力を持った者に対抗する唯一の手段がより大きな力であると考えます。そのため力あってこその正義、力=正義と考えます。  


 

 

 

2022年05月13日