今週の審判決報告(20230116)

 1月16日(月曜日)のゼミナールにおいて、本田さんより野田醤油支配型私的独占事件(東京高判昭和32年12月25日)の報告が行われました。審決文は本ページの最後で閲読できます。

 

 

 

審決取消訴訟判決

田醤油株式会社に対する審決取消訴訟に係る件

独禁法3条前段

東京高等裁判所

昭和31年(行ナ)第1号

審決取消訴訟判決

千葉県野田市野田三三九番地
原告 野田醤油株式会社
右代表者代表取締役 中野栄三郎 
右訴訟代理人 弁護士 赤木暁
井原邦雄
東京都千代田区内幸町一丁目二番地
被告 公正取引委員会
右代表者委員長 横田正俊
右指定代理人公正取引委員会委員 蘆野弘
同内閣府事務官  三代川敏三郎
有賀美智子
日高勲
 

右当事者間の昭和三十一年(行ナ)第一号審決取消請求事件について当裁判所は次のように判決する。 
   主  文 
原告の請求はこれを棄却する。 
訴訟費用は原告の負担とする。 


   事  実 
第一、原告の請求の趣旨及び原因並びに被告の主張に対する反論。 
原告訴訟代理人は被告が公正取引委員会昭和二十九年(判)第二号私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律違反審判事件について昭和三十年十二月二十七日にした審決はこれを取り消す、訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、その請求の原因及び被告の主張に対する反論として次のとおり陳述した。
被告は請求の趣旨記載の事件につき原告を被審人として昭和三十年十二月二十七日別紙審決書(写)のとおりの審決をし、原告は即日審決書の送達を受けた。審決は、原告が、自己の製造販売するしよう油の再販売価格を指示しこれを維持しもつて小売価格を斉一ならしめることにより他のしよう油生産者の価格決定を支配し東京都内におけるしよう油の取引分野の競争を実質的に制限しているとし、私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(以下独占禁止法という)第三条前段違反をもつて問擬している。しかし審決の基礎となつた事実についてはこれを立証する実質的証拠がないのみでなく、審決における独占禁止法の適用は独断又は不当であつて、右審決は取り消さるべきものである。以下これを分説する。 
一、他の生産者の支配 
まず、他の生産者の価格決定の支配という点につき審決は「かくして「萬」の小売価格が同一線に保たれる以上これと同格の他の三印はその製品の売値を「萬」と同一に保たざるを得ない事情にあり、これがためこれらもまたそれぞれ卸および小売価格を指示し鋭意これが維持につとめるに至つている。……よつて野田が同社製品の再販売価格を人為的に一定せしむることはその競争者の価格決定を支配することであり、これすなわちこれら事業者の事業活動を支配するにほかならない。その結果東京都内の需要の七割近くをみたす四印の価格は全く同一となりその間に価格面の競争は全然抑圧されている」とする。しかし他面審決は、野田がたんに生産者価格のみを決定したとすれば他の三印が最上しよう油たる格付を維持するためこれにならつたとしても原告の行為は当然の行為であつて法の禁ずるところではないというのであるから、「その競争者の価格決定を支配する」とは三印の「再販売価格の決定」を支配するという意味であること明らかで、結局審決は原告がその再販売価格を維持することによつて他の三印をしてそれぞれその再販売価格を原告のそれと同一に決定せざるを得ざるに至らしめたものと認定し、これを本件違反の構成事実と見たものといわねばならない。後述のように原告が再販売価格の維持をしたという事実はないのであるが、その点はしばらくおくとしても、審決の右認定には左の不当がある。 
(一)審決は原告が競争者の価格決定を「支配」することになるのは、「萬」と同格の他の三印はその製品の売値を「萬」と同一に保たざるを得ない事情にあるからだとし、「支配」とは、「結果としてある事業者の行為が他の事業者の事業活動を制約する一切の場合」に生ずるとする。しかし他の事業者の事業活動の制約の態様もしくは手段方法は種々あるのであつて、結果として制約となればすべて支配というのは余りに広きに失する。審決は支配の意義をかく広く解しなければ「客観的条件を適当に利用して他の事業者の行動を制約する」如き場合を取締ることができないこととなるという。しかし、かくては相互にその事業活動を拘束することも結果において相手の事業活動を制約することで相互の支配ということとなり法第二条の第五項と第六項の区別を無視することとなる。これ支配概念の不当な拡大といわなければならない。支配はその字義からいつてもなんらか支配者の側で制圧を加えるという要素がなければならないものである。しかのみならず原告が被告という客観的条件を利用した事実も何一つ存しないところである。審決もさすがに原告が三印に対してなんらかの働きかけを行つた事実は認定することができず、ただ三印の方で格付を維持するために原告に追随せざるを得ない事情にあることを強調するに止まつている。しかしそれは全く原告の関知しないところである。その格付なるものを原告が作り上げたとか少くともそれを利用した事実でもあるならばかくべつ、全然そのような事実がないのに何故原告がその格付の仕わざについて責任を負わねばならないのか、とうてい理解することができない。もし槍玉にあげるならばその鉾先は原告に対してではなく、罪な格付に向けらるべきである。被告の強調する格付論によれば他のしよう油生産者の価格決定を支配したのは格付であり、格付が現存する限り、原告の行為とは無関係に追随が行われ、原告の再販売価格の維持行為の有無に拘らず依然として追随は行われるということにならなければならない。支配の意義をいかように解するにしても支配による競争の実質的制限が独占禁止法違反を構成するためには、それが公共の利益に反するものでなければならない。自由競争の結果、優勝なる事業者が劣弱なる事業者の活動を支配することとなつたとしてもまことにやむを得ないことである。そこに独占禁止法違反には規範的要素が介入するのであり、その競争の制限は不当な制限でなければならない。しかるに三印がキッコーマンの価格に追随せざるを得ないとされるのは、被告の主張によつても原告の働きかけでなくて格付のせいである。格付は自然にできたもので原告の与り知らぬところ、三印の追随は原告がそうさせたのではなく、時には原告の意思に反して追随されたのである。被告の所論は責任の本旨を没却している。
被告は本訴において、本件違反事実の本体は原告がその製造販売するしよう油の再販売価格を指示しこれを維持しもつて小売価格を斉一ならしめることにより他のしよう油生産者の価格決定を支配したことにありとし、この場合の他の生産者の価格決定とは生産者価格、卸価格、小売価格の決定を意味するもので、「他の三印をしてそれぞれその再販売価格を原告のそれと同一に決定せざるを得ざるにいたらしめた」ことのみにかかるものではないと主張する。しかし卸価格、小売価格の決定はしばらく別とし、原告が再販売価格を指示し維持しもつて小売価格を斉一ならしめることにより他のしよう油生産者の生産者価格の決定を支配したというのは理解し難く、被告従来主張の基本思想と相容れないと思われる。すなわち被告は、三印以下のしよう油の製造業者は自己の製造するしよう油の価格を決定するにあたり原告のしよう油の価格と一致させなければならない客観的必要性があり、キッコーマン印の価格が定まれば後は自動的に価格が決定される市場秩序があると主張するのであつて、他のメーカーの生産者価格の決定に関する限り、原告の再販売価格の指示、維持とは全く無関係である。原告の再販売価格の指示及び維持によつて他のメーカーの生産者価格の決定を支配したというところからみれば、その指示及び維持がなかつたなら他のメーカーの生産者価格の決定の支配とならぬということにならねばならないが、被告ははたしてこのようなことを主張しようとするのか。再販売価格の指示及び維持によつて他のメーカーの生産者価格決定を支配したということと、キッコーマン印の価格-生産者価格-が定まれば後は自動的に価格が決定されるということとはむじゆんといわなければならない。このようなむじゆんをあらわしたのもひつきよう被告のいわゆる市場秩序なるものはそれ自体違法とすべき根拠がないので、無理に再販売価格の指示及び維持という違法の行為を結びつけ全体として違法の色彩を帯有せしめんとしたからにほかならない。
(二)審決が、三印は自己の製造するしよう油の価格を決定するにあたり、原告のしよう油の価格と全く一致せしめなければならない客観的必要性がありまた次最上以下のしよう油の製造業者もまた前記価格と一定の開きを保たざるを得ない事情にあるとするのは、なんら実質的な証拠なき独断といわなければならない。審決の示す証拠によつても過去において三印が原告の製品と同一価格を決定したのは原告の価格が妥当であり、かつ妥当な価格であるならばこれに追随することが営業上有利だからというに止まり、結局は商策上の利害打算の結果であつて、三印が常に原告の製品と同一価格を決定しなければならない客観的必要性があるものではない。次最上以下の製造業者についても上記価格と一定の開きを保たざるを得ないというが如き特別の事情の存在は発見することができない。審決は他の三印生産者はその製品を「萬」より高くすることはもとよりこれより低くすることも「絶対に不利」であるから「萬」の価格に追随することが客観的必要であるというが、論理の飛躍がある。けだし「萬」に追随しないことが絶対に不利であり、追随することが絶対に有利であるならば、追随することは当然である。有利をすてて不利をとる愚はない。さればこの場合には利不利の打算較量が介入し、もし不利ならば追随しないという余地が残つているのであるから、それは主観的任意性の問題であつて客観的必要性の問題ではない。客観的必要性とは、有利なると不利なるとを問わず、好むと好まざるとに拘らず追随せざるを得ないところに成立するものであつて、三印の原告に対する関係がかような必要的なものでないことは証拠上明らかである。それ以外にも客観的必要性を証明する実質的証拠は全然なく、本件に顕出された全証拠をもつてしてもハンド判事のいう「任意の追随」以上のものは認定することができないのである。
それで審決は当初からマーク・バリュー即品質即小売価格の三位一体論なるものを持出し、これから右の客観的必要性を演繹しているが、三位一体論の支持し難いことは原告が審判手続において主張したとおりである。原告がこの三位一体論はマーク・バリュー、品質、小売価格の三者が不可分離の必然的関係でなければならぬとする点においてまだ論理的証明が十分でないとしたのに対し、審決はそれは必然的であることを要しないというが、三位一体論なるものは小売価格を下げれば品質を疑われ、マーク・バリューをも落すことになるという意味で三者の必然的関係を主張するものであることは明らかで、もしそれが必然であることを要しないとすれば三位一体論を持ち出すのは全く無意味となり、三印のキッコーマンへの追随の客観的必要性を根拠付けるに足りないこととなる。思うにマーク・バリューと小売価格との間には必ずしも必然的な関係はない。原告が被告のいうように優位にあると仮定すれば、キッコーマンの小売価格を三印以下に下げても、これによつて直ちにそのマーク・バリューを落すことになるとはいえず、逆に三印が小売価格を下げた場合にも、それがそのマーク・バリューを落す結果となるかあるいはキッコーマンの方で値下を余儀なくされる結果となるかはいちがいに断じがたいところであつて、三印にとつてマーク・バリューを維持するために原告への追随が絶対的な至上命令であるとはいい得ないのである。
(三)審決は原告の再販売価格の維持によつてその競争者たる三印の再販売価格の決定を支配したというが、三印は原告が再販売価格を発表するや直ちに追随したのであつて、原告が再販売価格を維持したがためではない。維持によつて三印の価格決定を支配したというのは因果関係が混線している。そもそも再販売価格の発表それ自体は別段違法ではない。生産者の生産者価格の決定が当然の行為であるならば、再販売価格の決定ないし発表は少くとも自由放任の行為である。ともに法の禁止するところではない。法の禁止しない行為の結果他の生産者の再販売価格の決定を支配することとなつても、公共の利益に反して他の事業者の事業活動を支配したものというべきでないこと、原告の生産者価格の決定が他の三印の生産者価格の決定を支配することとなつても違法でないのと全く同様である。もつとも被告は一般的には再販売価格の発表それ自体は一種の希望に止まるものとして違法でないといい得るとしても、原告の場合はなんらの維持行為を行わないでもその再販売価格の指示は違法であると主張する。その理由とするところは、原告の如くそのマークの力と事業能力によつて販売業者を完全に支配している場合には名目はかりに希望価格でも絶対の強制力をもち、市況調査係の訪問や荷止め処分によつて廉売防止策がとられている場合の希望価格は再販売価格の指示と異ならないというにある。廉売防止策がとられている場合はとりも直さず維持行為のある場合であるから、被告がなんらの維持行為も行われない場合でもその再販売価格の指示は違法であるとするのは、そのマークの力と事業能力とによつて販売事業者を完全に支配しているがためと見なければならない。原告がしかく販売業者を完全に支配し絶対の強制力をもつならばあえて廉売防止策をとる必要もなく、その間主張に一のむじゆんがあると思われるがその点は別としても、一般的には違法でないことがマークの力や事業能力のいかんによつて違法となるとの所論にはとうてい服し得ない。営業の自由は憲法の保障するところであるから営業活動は自由なのを原則とする。仮りに被告のいうように原告の発表した再販売価格は特別の維持行為がなくても励行されるとしても、それをもつて独占禁止法第二条第七項第四号にいう「相手方の事業活動を不当に拘束する条件をもつて取引する」ものとはいえない。それならば原告がその再販売価格を発表したため他の生産者がこれに追随してその再販売価格を決定し又はしかく決定せざるを得ない客観的必要性があつたとしても、原告の行為を目して違法とすることはできない。
しからば原告の再販売価格の維持が他の三印の再販売価格の決定を支配したといえるか。再販売価格の維持行為が違法であることは原告も認める。原告がこれをしたことは否認するところであるが、そもそもこのような維持行為と三印の再販売価格の決定とは無関係である。原告は生産者価格と同時に再販売価格を発表したのに、三印は即日ないし翌日その生産者価格のみならず再販売価格を原告のそれと同一に決定している。原告の維持行為をまつて決定したのではない。原告の再販売価格の維持行為と三印の再販売価格の決定とを結びつけようとするところに因果関係の混線があるというのである。被告は本訴において独占禁止法の対象は単純な偶発的事実でなく、原則として企業者の一連の事業活動であるという。その点はいちおう異存ないとしても、被告は「原告会社の如くそのマーク・バリュー、生産能力並に問屋及び小売店に対する支配力が強大である生産者の再販売価格の指示は名目が希望価格でありまたなんら特別の維持行為が用いられない場合でもこれが励行されることは当り前のことで、たまたま末端の若干の小売店に廉売が行われたとしても最上印を象徴する一定価格を不安定ならしめる程度にいたらぬ限り他の最上印の生産者は原告会社の価格に追随せざるを得ないものであり、少くとも戦後は価格の改訂に当つては常にキッコーマンへの追随が他の最上印の唯一の価格政策となつていたものである」として「追随の基盤が確立されている」とするのであるが、仮りにそのような基盤があるとしても、その基盤の仕わざについて原告が責任を負う筋合のものでないことはすでに述べたところである。そこで被告は「他の最上印にとつて追随が絶対化されるゆえんは原告会社の維持行為である」と主張する。しかし他の最上印の追随を絶対化する原告の維持行為とは何をさすのか。それは昭和二十九年一月中旬ごろ原告の社員が小杉武の店に行つて一四〇円の価格を守らなければ荷止めするといつたといわれる小杉武の件ほか五件のほかに出るものでなく、三印の価格決定の支配とは三印が昭和二十八年十二月二十五日に改訂した生産者価格、卸価格、小売価格の決定に関するもの以外は本件では全然問題となつていない。しかしこの両者がどうして結びつくのか遂に解明し得ない。被告は、「因果関係を極く形式的に論ずることによつて責任を回避することはできない」とするが、形式的に論ずべきでないとしても、抽象的に論じてよいわけでなく、因果関係は事実に即して具体的にみなければならない。これを具体的にみるかぎり上記昭和二十九年一、二月の維持行為とされるものが昭和二十八年十二月の価格決定を支配すべきいわれはないのである。
もつとも審決は原告がその再販売価格を維持することによつて三印の価格決定を支配したとしながら、他方において三印もまたそれぞれ卸および小売価格を指示し鋭意これが維持につとめていると判示する。「四印の価格は全く同一となりその間に価格面の競争は全然抑圧されている」とする審決の立場からすれば、それは当然しなければならない認定である。しかし原告が法の禁ずる再販売価格の維持をしたから三印もこれにならつて同様な法の禁ずる維持行為をしている。いなその客観的必要性があるとするにいたつてはそれがいかに不当な認定であるかいうまでもあるまい。
(四)被告が市場秩序とか客観的必要性とか称するものは秩序でも必要性でもないことはさきに主張したとおりであるが、仮りにこのような市場秩序があるとしてもそれ自体なんら違法でないことは被告も承認するところである。曰く「ノダが再販売価格は指示することなく単に生産者価格のみを決定したと仮定し、他の三印は最上しよう油たる格付を維持するには生産者価格をこれと同一に保つことが必要であり、よつてこれにならつたとしても、事業者が自ら生産する商品の売価を決定するのは当然の行為であり、たまたま結果において他の事業者の価格決定を制約することになつてもそのこと自体は公共の利益に反して他の事業者の事業活動を支配するということにはならず、もとより法の禁ずるところではない」と。もとより何人も異存のない当然の事理である。しかるに審決はこれに引続き「再販売価格の維持にいたつては全然異なる」とし、再販売価格の指示及び維持行為の結果が他の生産者の価格決定を支配するときは公共の利益に反する事業活動の支配であるとする。再販売価格の指示及び維持行為が特別の場合を除いて違法であることは原告も争わないが、他の生産者の価格決定という価格の中には生産者価格も包含するというのであるから、原告の再販売価格の指示及び維持行為が他の生産者価格の決定に因果関係ありということに帰着するわけである。それが何故にしかるかは了解できない。審決も他の三印の価格の決定についてはこれらがいずれも原告の値上発表の即日ないしは翌日値上に同調したことを認めている。従つて三印の価格の決定は少くとも生産者価格に関する限り被告の主張する原告の再販売価格維持行為(原告はこれを否認するが、仮りにあつたとしても)がこれと因果関係に立ち得ないことは疑をいれない。被告の主張する原告の再販売価格の指示行為(これもたんなる希望の発表に止まるが)は原告の新生産者価格と同時に発表したものであるが、これと他の三印の生産者価格の決定とは無関係である。原告がもしその生産者価格を発表するだけで、再販売価格を発表しなかつたならば三印はその再販売価格だけでなくその生産者価格をも決定しなかつたであろうという関係にありというならばかくべつ、被告もさような主張をするわけではなかろう。原告がその再販売価格を指示しなかつたとしても事態は全く同一である。原告の再販売価格の指示及び維持によつて三印の生産者価格を決定し支配したという点の被告の主張が失当であることは明らかである。 
(五)のみならず被告は原告が三印以下の生産者価格のほかその卸価格、小売価格の決定をも支配したというが、三印等についても卸価格は問屋が、小売価格は小売商がそれぞれ決定するものであつて、生産者が決定するものではない。三印等も原告と同じくその再販売価格についての希望は表明したかも知れないが、それは再販売価格を決定したことにはならない。被告の主張によつても、三印以下は原告の如く問屋及び小売商に対して支配力を有するものでないというのであるから、三印等の再販売価格の発表はあくまで単なる希望に止まり決定ということではない。従つて原告が三印以下他の生産者の再販売価格の決定を支配したということは解しがたい。
(六)そもそも被告は原告の事業能力及びその製品の市場における優越を余りに過大評価し、三印その他のそれを余りに過小評価している。なるほど原告の事業能力が他社にまさり、その製品が他社の製品よりも一層消費大衆に滲透していることは事実であろう。しかしそれは単に相対的な程度の問題でそれ以上ではない。ことに三印の如きはそれぞれ業界における一方の雄であり、いわゆる一国一城の主であつて、決して原告に盲従するようなものではない。現にこれらの製品が市場において原告の製品と活溌に競争していることは公知の事実である。原告とその製品が市場において代表的ないしは指導的立場に立ち、その意味で原告が学者のいうバロメトリック・ファームすなわち代表的会社であるかも知れないが、市場を支配する如きドミナント・ファームすなわち支配的な会社ではない。業界に一の代表的な事業会社がある場合他の事業者が右にならえしてこれに追随することのあるのはむしろ普通であつて、必ずしもしよう油業界に限つたことではない。審決がその示す証拠をもつてこの限度の事実を認定するのならばかくべつ、これ以上さらに原告に擬するに支配的な会社をもつてすることは明らかに実質的な証拠を欠く不当な認定であり、なんらの根拠なき予断というほかなく、あるいは偏見であるとさえいえる。審決は「他の業界には見られないしよう油業界の特質」なるものを主張するが、仔細に検討すればその特質なるものは三位一体を中心とする格付論以上に出るものではなく、これによつてはとうてい上記の認定を基礎付けるに足りず、その格付といつても大なり小なりどの業界にもあることであつて、とくにしよう油業界に限つたことではないのである。
(七)被告は原告が格付を機縁として三印を支配している外、問屋及び小売店に対しても「絶対の強制力」をもつているとするが、これも実質的証拠なき独断である。原告と問屋とは長い伝統と直接の取引関係によつて結ばれ、その間摩擦の生ずることは比較的少いが、問屋は幾多の食糧品を取り扱うものであつて、しよう油ばかりを扱うものではなく、しよう油についてもキッコーマンばかりではなく、三印をはじめ種々のしよう油を扱う。その間にあつて原告のみが傍若無人の態度をとれるものではない。小売店についてはなおさらである。小売店は多くは世間でいう酒屋であつて、しよう油の扱高は他の扱商品に対しその比率が問屋の場合よりもさらに少額であり、しかも原告と直接の取引関係に立つものではない。従つてたとえキッコーマンが酒屋にとつて不可欠の商品であるとしても被告のいうように原告の威令が行われるものではない。ことに小売店は数十名の組合員を有する強大な協同組合を組織しているのである。かような強大な組合が原告の意のままに動くものでないことは常識より見ても当然である。原告の再販売価格の指示が絶対の強制力を有つとするのは全く事実に反する。
(八)さらに被告は原告が他の三印の価格を「萬」のそれと同一にそろえるように仕向けることを営業政策としているかの如く見ている。審決には直接見えないがこの根本思想の下に立つことは明らかで、この思想のあるため原告が四印の価格の同一を保持するためいわゆる市場秩序を利用しているかの如き、あらぬ疑をかけられているのであるが、これまた根拠なき独断であり偏見である。原告は四印の価格の同一を保持する必要を認めてもいないしこれを意図したこともない。被告自身の主張からいつてもかようなことはあり得ない。すなわち被告は他の三印はその製品を「萬」よりも高くすることも低くすることも絶対に不利であるとするのであるから、三印がもし価格を低くしてマーク・バリューを落すならば原告は名実ともに平素から標榜する「天下一品」となるのであり、最上一印となるのであり、何を好んで四印間の価格の同一を保持する必要があろうか。
(九)審決は原告が「萬」の再販売価格を指示維持し、小売価格を斉一ならしめその結果東京都内の需要の七割近くをみたす四印の価格は全く同一となつたとする。しかし小売価格について四印の価格を同一にしたのは小売商の協同組合である。「萬」についてはともかく少くとも三印以下に関する限り三印等が協同組合を支配しているとは被告も主張しない。事実また組合によつてマルキンが最上価格表から除外された実例もある。そして組合が四印を同一価格に協定した以上すでに四印の価格は同一となつたのであり、原告の再販売価格の指示維持によつて価格が同一となつたものではない。もとより組合が協定価格を設定した後においても散発的な乱売の事例は残るであろう。原告が再販売価格の指示維持をやつてみても乱売を一つ残らず絶滅し得るわけではなく、乱売の事例がいくらか少くなるというだけである。大体において四印の価格が同一であることは前後少しも変りはない。組合が存在し、組合が四印をはじめしよう油の協定価格を決定する限り従来の慣行にもとずき四印の価格は同一となるのであつて、原告の再販売価格の指示、維持とは無関係である。現に本件で問題の昭和二十八年十二月以降においても数回しよう油の価格は改訂せられたのであつて、これについて原告はなんら再販売価格の指示も維持も行つた事実はないが、依然として四印の価格は同一となつているのである。これが偶然の一致でないことは業界人のひとしく認めるところである。再販売価格の指示維持と四印の価格の同一を無理に結びつけようとするところに審決の誤りが存するのである。 
二、再販売価格の指示及び維持 
(一)原告がその製造するしよう油の再販売価格の指示をした事実はない。審決が再販売価格の指示と目するのは昭和二十八年十二月しよう油の価格を改訂したさい原告会社東京出張所長が「キッコーマン価格改訂につき御願」と題し「今回の改訂により卸小売価格左記標準値段を御実施下さるよう特別御配慮賜度御願申上げます」と記載した価格表を交付した事実を指すものと解されるが、これを独占禁止法上いわゆる再販売価格の指示と認めるのは相当でない。同法にいう再販売価格の指示はなんらかの形における強制の裏付をすることによつてその表示された価格をもつて問屋及び小売商を拘束しようとするところになり立つのであるが、本件の場合には全くかような要素がない。原告が生産者価格の外右のような再販売価格を記載した価格表を問屋に交付したのは、しよう油の価格統制時代には生産者価格、卸価格、小売価格の三段階の価格が告示によつて定められ、原告が問屋に交付していた価格表にも常に三価格を表示していた。この長い統制時代の慣行が統制撤廃後においてもただ惰性的に踏襲されただけで、原告にとつてそれ以上の意味をもつものではない。のみならずこの表示は他面問屋や小売店の側から見ればはなはだ便宜なものであり、かような表示は問屋や小売商の要望でもあつたのである。生産者価格の改訂があつた場合、問屋や小売商はそれぞれ卸価格、小売価格を改訂しなければならぬが、競争相手の他店がどの程度に改訂するかは重大な関心事で大体の見当をあらかじめ察知しておく必要がある。このことは新製品の発売の場合はもちろん、その他にも価格改訂の時などにはきわめて必要なことであり、また営業者として当然のことであるが、競争相手に聞くわけにも行かないからおのずから生産者に対し生産者としては一体再販売価格としてどの程度のことを予想しているのか参考のため照会してくることになる。これによつて他店の出方について大体の見当をつけることができるからである。かような生産者への照会は日常多くの商品についてひんぱんに行われるところであり、この場合生産者が問屋や小売商の営業上当然の要望にこたえて自己の予想しないしは希望する卸価格、小売価格を表示したとしてもそれは問屋や小売商の営業をやりよくするために協力することであつて、決して不当な行為ではない。これが法律上違法とされる理由はない。原告の上記価格表の交付は問屋や小売商からの個々の照会に対し個々に回答する代りに、これらの照会をまたずあらかじめ一般的に表示したものに過ぎないから、これまた違法と目すべきでない。被告は原告会社の場合は名目は希望価格でも絶対の強制力をもつから再販売価格の表示は違法とされるが、絶対の強制力をもつということが事実に反するのみでなく、仮りになんらの維持行為をしなくても励行される事実があるとしても、キッコーマンそれ自体のうちにおのずからそなわる信用の然らしめるところというのほかなく、絶対の強制力をもつというが如き外面的他律的なものではない。これをもつて原告の再販売価格の表示は拘束的性格を有すると見るのは正当でない。
(二)原告はその再販売価格の維持をしたことはない。原告の再販売価格の維持行為として疑惑を受けているのは昭和二十九年一、二月ごろ原告会社の外務員が小杉武ほか四名の小売商に対し協同組合の協定価格を守るようにと勧説した行為にもとずくものであるがこれをもつて原告の再販売価格維持と断ずるのは当らない。その理由を要約すれば次のとおりである。
(1) 上記外務員は協同組合の定めた小売価格を守るように勧説したものであつて、原告の発表した小売価格の順守を要望したものではない。この場合協同組合の協定価格は原告の発表した小売価格と一致してはいたが、そのために協同組合の定めた価格たる性格を失うものではない。そして右外務員らははつきりと組合の協定価格を守つてもらいたいといつているのみでなく、次に述べるように同人らは協同組合から頼まれて組合の利益のため小杉らに伝えたものである点からみても、組合の協定価格としての当該価格を守つてくれという意味であることは明白である。もともと協同組合は適法に協定価格を定め得るものであり、一且適法に定められた協定価格は組合員である以上守るのが当然である。当然守るべきことを守るように勧説することは違法でない。ことに本件では組合の依頼によつて組合の代理人的立場でしたのである。小売価格は生産者にとつて一指も触れてはならないタブーであるとする理由はない。組合員外の者にまで組合の協定価格に従うよう希望したことはあるいは行き過ぎであろうがこれとてあえて違法というには当らない。被告は組合の価格なるものは実は組合をかいらいとする原告の価格であるかの如くいうが、それは実質的証拠を欠く見当違いの認定である。
(2) 原告の方で荷止めするといつたことはなくそのようなことをにおわせた事実も全くない。事実小売商と直接の取引関係に立つ問屋をさしおいて原告の方で勝手に小売商に対し荷止めをするなどということは営業の実際問題としてできるものでもなく、前示外務員らも値くずしする小売商に荷を出す問屋は組合や組合員から一斉に非難攻撃されて苦しい立場に立ち、その結果荷止めせざるを得ない破目におちいるかも知れないといつているのである。その意味するところが原告の方で荷止めするという趣旨でないことはきわめて明白である。仮りに荷止めというような不利をにおわせたからとて、告知者がそれに対してある影響を与えそれを左右し得る地位にあることをにおわせたのでなければ告知者が強要したものとは認めることができない。
(3) 原告の外務員は市況調査係としてしよう油に関する一般市況の動向や小売商、需要者らの希望とか苦情などを調査することを職務とするものである。決して価格の維持を仕事とするものではない。ただ日常広く小売商と接触する機会があるので組合からたのまれ協定価格順守についての組合の要望を伝えたに過ぎない。伝えた相手の中にたまたま組合員でないものがあつたとしても組合の要望を参考のため伝えることを不可とすべき理由はなく、また数千軒に及ぶ小売商の各自につきはたして組合員であるか否かは外務員として必ずしも明らかでないのである。 
(4) 前項の行為も末端の二、三の外務員らが組合に頼まれ自発的にした偶発的なものであつて、原告の営業方針にもとづいてしたというわけのものではない。被告は原告会社が戦後常に程度の差こそあれ維持行為を行つていたことは推測に難くないとされるが、全然証拠のない推測であつてめいわくである。末端社員の偶発的な若干の行為から原告の価格政策なるものを帰納できるものではない。市況調査係の制度や小売商までの直配、キッコーマン会による共同集金等々は被告もあながちそれを第一次の目的としたものという意味ではないとしてある程度認める如く、それぞれ特別の目的を有する制度であつて価格維持政策のためにするものではない。
(三)審決は組合の協定価格はすなわち蔵元の指示した再販売価格であるとし、中間に協同組合の協定価格の介在した事実を軽視する。しかし協同組合は「組合員の利益を守ることを第一義とし、いかに有力であり大切な取引先であるにしても常に問屋生産者らの指図にやすやすと従うものではない」ことは審決も認めるところである。しかし審決は「このことは協同組合が利害一致するときは問屋あるいは生産者らの希望をいれまたはこれと密接に協力することあるを妨げるものではない」とするが、利害が一致すれば容認又は協力することは当然であつて、それは原告の指示なるが故ではなく、組合自身の利益に適合するからである。たまたま原告の希望価格と組合の協定価格とが一致したからといつて組合の協定価格の独自性を否認すべきではない。
三、競争の実質的制限
審決は「東京都内の需要の七割近くをみたす四印の価格は全く同一となりその間に価格面の競争は全然抑圧されている」とし独占をもつて問疑した。その趣旨とするところはたんにキッコーマンの価格をそろわせただけでなく、ヤマサ、ヒゲタ、マルキン等他の三印を加えた四印の価格をそろわせたというにあることはいうまでもない。しかし原告がキッコーマンについて再販売価格を発表し、これがため他の三印もこれに同調してそれぞれの再販売価格を決定したとしてもこれがため直ちに四印の間に価格面の競争は全然抑圧されるという結果は生じない。原告が絶対の強制力を有するとされるキッコーマン自体についてすら末端価格は不ぞろいであるのに、原告となんらの関係のない他の三印の末端価格までが原告の号令一下、一糸乱れず原告の発表した再販売価格に同調するはずはない。被告も、まさか原告がキッコーマンについて発表した再販売価格が、ヤマサ、ヒゲタ、マルキンに対してまで「絶対の強制力」を有すると考えるわけではあるまい。原告が再販売価格を発表し、そして仮りにこれを維持したとしても、四印間の価格面の競争が全然抑圧されているというのは事実を正視するものではない。そこで被告は「他の三印もまたそれぞれ卸及び小売価格を指示し鋭意これが維持につとめるにいたつている」とする。いかなる証拠によつてさような事実とくに鋭意維持の事実を認定されるのか不明であるが、いずれにしてもそれこそ原告の関知したところではない。とくに小売価格の指示及び維持は明らかに法の禁止に違反することである。もし原告がやれば他の三印もあえて法を犯してまでもこれに同調せざるを得ないというほど絶対的な力を格付なるものは有するのであろうか。
四、排除措置 
(一)審決は主文において原告はその製造するしよう油の再販売価格につき希望価格標準価格その他いかなる名義をもつてするかまたいかなる形式もしくは方法をもつてするかを問わず自己の意思を表示しまた何人にも表示させてはならないとしているが、先にのべたとおり再販売価格の決定はそれ自体違法と認むべきものではない。またその決定にかかる再販売価格を希望として表明したからとて、あえて違法となるものではない。しかるに審決がいかに予防措置としてとはいえ再販売価格に関する限りこれを口にすることさえ禁止しているのは正当な範囲を逸脱する違法な措置といわねばならない。

(二)本件は最初から東京都内における取引の制限を問題としていたのに、審決にいたつてにわかに排除措置の範囲を全国的に拡大したのはただにその必要がないのみでなく原告にこれに対する弁明の機会を与えずしてした抜打的な審決であつて重要な手続規定に背反するものといわなければならない。


第二、被告の答弁及び原告の主張に対する反論 
被告指定代理人は主文同旨の判決を求め、答弁又び原告の主張に対する反論として次のように述べた。 
原告主張の事実中被告が原告主張の日その主張の審決をし、即日原告が右審決書の送達を受けたことは認めるが、その余の事実はすべて争う。審決の基礎となつた事実はすべて審決書記載の実質的な証拠により立証され、その法の適用は正当である。以下原告主張の順序に従いこれを反ばくする。
一、他の生産者の支配について、
本件違反の構成事実は原告のいう如く「原告がその再販売価格を維持することによつて他の三印をしてそれぞれその再販売価格を原告のそれと同一に決定せざるを得ざるにいたらしめた」ことのみにかかるものではない。本件違反事実の本体は原告がその製造販売するしよう油の再販売価格を指示しこれを維持しもつて小売価格を斉一ならしめることにより、他のしよう油生産者の価格決定を支配したことにあり、この場合の他のしよう油生産者の価格決定とは生産者価格、卸価格、小売価格の決定を意味する。審決(審決第三法の適用二)において「ノダが再販売価格は指示することなく単に生産者価格のみ決定したと仮定し、他の三印は最上しよう油たる格付を維持するには生産者価格をこれと同一に保つことが必要であり、これにならつたとしても、事業者が自ら生産する商品の売価を決定するのは当然の行為であり、たまたま結果において他の事業者の価格決定を制約することになつてもそのこと自体は公共の利益に反して他の事業者の事業活動を支配するということにはならず、もとより法の禁ずるところではない」といつたのは、競争事業者の価格決定を支配しても違法となし得ない場合の一つを例示したに止まり、本件の如く原告がその再販売価格を指示し維持することによつて競争事業者の生産者価格の決定を支配する場合をも違法でないとする趣旨ではない。審決で認定した違反事実が原告の主張する如きものであるとするのは原告の思い違いである。
(一)原告は審決が支配の意義についてのべた点に対して、原告が客観的条件を利用した事実はなく、また三印の方で格付を維持するために原告に追随してもそれは原告の関知しないところであり、その格付を原告が作り上げたとか少くともそれを利用した事実でもあるならばかくべつ、全然かような事実がないのに何故原告がその格付の仕わざについて責任を負わねばならないのか理解できないと主張する。しかし審決(第一事実の認定の四)に示すとおり、原告が再販売価格の指示を行つていることは事実である。そして次項に述べるように、しよう油業界においては各メーカーの品質について格付が行われている以上しよう油の品質と価格の一体関係からキッコーマン印の価格が定まれば後は自動的に価格が決定される市場秩序があり、審決(第一事実の認定の一、二並びに第三法の適用の一)に示した如く、原告の事業能力及びキッコーマンのマーク・バリューは強大で他のメーカーは価格競争を挑むことができず、加うるに問屋は各メーカーに共通であるものが大多数であり、しかもこれら問屋に対する原告の支配は圧倒的で、小売店をも掌握しているという経済的基盤の上では、メーカー間の競争が行われる余地はなく、最上三印はキッコーマンの価格と異なつた価格を設定する自由はない。右の事情の下において原告が再販売価格の指示並びに維持を行えば、他の三印メーカーを規制しさらに業界全体を支配するにいたるのは自然の勢であり、この事自体が原告の競争業者の支配であり、被告が全審決をもつて証明せんとするものは主としてこの一点に係る。この場合原告が格付を作り上げたとか、利用する意思の有無は特に問題とはならない。また原告は事業者の行為が支配となるためにはなんらかの点において強圧の要素が加わらなければならないと主張するが、右の経済的基盤の上では原告の行為は他のメーカーや販売業者に対しては経済的には絶対的な強制力があり、ただ場合によつてそれが直接的でないことがあるというに過ぎない。
(二)原告はマーク・バリュー、品質、小売価格のいわゆる三位一体論を否定しようとする。しかし右にいわゆる三位一体論は東京都内におけるしよう油業界においてキッコーマンの価格への追随を必要ならしめる市場秩序を底礎する事情の正しい認識にもとずくものであり、審決の認定は正当である。すでに審決(第一事実の認定の二)に述べたとおりしよう油の如き調味品にあつては味覚、風味等の主観的要素に左右されて実質的品質の識別は一般大衆にとつて困難であり、マークに対する信用によつて品質評価が行われることになる。すなわちマーク・バリュー即品質の関係が成立しており、これによつてその商品価値が決定される。またしよう油は一般大衆に直結する日用品としての特性上、小売価格はマーク・バリューの端的な表現であり、一般大衆には小売価格がしよう油の品質価値を判断する有力な指標である。すなわちマーク・バリュー即小売価格即品質の三位一体の関係が成立している。このことはしよう油に限らず一般の日用品についても専門的知識のない消費大衆の性向からして珍らしくない現象であるが、しよう油については古くからマーク・バリューに対する級別と価格差が判然としていることから、この購買者心理は抜き難いものとなつており、マーク・バリューと品質の一体関係は特に強固なものがある。さらにしよう油については古くからマーク・バリューに対する格付けがされているが、以上のマーク・バリューと価格と品質の一体関係から価格が同一であるものは品質も同一であるとして同一の格付を獲得し、価格が低いときは品質も劣るものとされ格付より脱落することになる。なおマーク・バリューと小売価格と品質とはもちろん不可分離の関係にあるが、被告のいう不可分離の必然関係とはしよう油業界の実勢関係、取引関係の特殊性から生ずる現実のさけ得ない事実上の必然関係をさすのであり、それが一般的に抽象的論理的な意味で必然関係にあるか否かとは必然の連関をもたずまたその必要もないのである。三位一体論は現実の動かせない事実関係であれば足りるとともに、現実の事実関係であるところに重大な意味がある。この点に対する原告の非難は理由がない。またしよう油については最上、次最上、極上等のマーク・バリューに対する級別即格付が生じ取引価格もそれぞれの格に応じてほぼ一定の開きが保たれ、しよう油の品質に対する実質的評価はマーク・バリューのかげにおおわれ、一般消費者はもつとも普及滲透している特定のマークを愛用する根強い傾向を有し最上印という格付が一種の需要わくとして消費性を規制することになる。そこで最上四印の中でもキッコーマンのマーク・バリューがもつとも強力であることからキッコーマン以外の他の三印はキッコーマンより高い値段をつけ得ないことはもちろんとして、その販路を維持するためにはその価格、とくに小売価格をキッコーマン印と同一水準にし、キッコーマンと同一の最上印という格付と信用を保持することが不可欠である。キッコーマン印以外の三印が自ら価格を最上並より安くすることは数代にわたる努力にもとずく歴史的所産である最上印の格付を自ら放棄することであり、需要減退に追い込められることになるし、格付は一度脱落するときはこれを回復することは困難であり、さらに安売り競争ともなれば原告の強大な事業能力に抗し得べくもない。すなわちキッコーマン以外の他の三印の生産者はその製品をキッコーマン印より高くすることはもとよりこれより低くすることも絶対的に不利であり遅滞なくキッコーマンの価格に追随することが一の客観的必要となつているのである。原告会社はマーク・バリューと価格との関係から自己の製品の売価を自由に定め得るが、他の最上印は各自の採算、市況のみによつて値段を定めるわけにはゆかず、原告会社の動きに従わなければならぬ実情であると認められる。一方原告会社においてはキッコーマンのマーク・バリューは同じく最上四印といつても他の三印に比しはるかに強力であるから、最上四印が同一小売価格である限り、最上四印間の競争においてはキッコーマンが絶対の優位に立つことは明らかであり、原告会社としてもキッコーマンの販路の確保拡大のために四印間の価格を同一に保つことは必要なのである。次最上以下がキッコーマンのマーク・バリューに対抗し得ないことはいうまでもないが、前述の如くしよう油については最上、次最上、極上等の格付に応じて取引価格に一定の開きが保たれているので、次最上以下もキッコーマンの価格によつて代表される最上四印の価格を基準として一定の開きをもつて決定される。審決にも示したとおり現に昭和二十八年の秋ごろしよう油の原材料の高騰により、次最上のあるものは業界全般の値上を待ち切れずに値上を発表したが、翌年一月の最上四印の値上までは実施できなかつた。ひつきようするにしよう油業界においては次最上以下はまず最上四印が値上げしない限り事実上値上げすることは不可能であり、最上四印の中ではキッコーマンの値段が動かない限り他の最上印はいかんともしがたく、またキッコーマンの値段が動いた場合には遅滞なくこれに追随せざるを得ない確固たる市場秩序が成立しているということがいえる。原告は過去において三印が原告の製品と同一価格を決定したのは、原告の価格が妥当でこれを同一にすることが有利であるからだと主張するが、上記述べたところからそれは原告の価格が妥当であるとか追随することが有利であるからとかの理由によるものでなく、三印としてはキッコーマンへの追随以外に自己の販路維持の方途がないからであること明らかである。以上を綜合すれば、三印の生産者はその製品を「萬」より高くすることはもとより、これより低くすることも絶対に不利であり、ためにキッコーマンの価格に追随することが一の客観的必要性となつており、次最上以下もまたこの最上印の価格を基準として一定の開きを保つた値段によつて取引されているとの点について実質的証拠がないとする原告の主張は理由がなく、被告が審決第一事実の認定の二において示した事実は実質的証拠に支持された正確なものであると信ずる。
(三)原告は「審決は原告の再販売価格の維持によつてその競争者たる三印の再販売価格の決定を支配したといわれるが、三印は原告が再販売価格を発表するや直ちに追随したのであつて原告が再販売価格を維持したがためではない。維持によつて三印の価格決定を支配したというのは因果関係が混線している。しかるに再販売価格の発表それ自体は別段違法と認むべきものではない」と主張する。まず原告のいう因果関係の混線があるとの点から反論すると、審決にも明らかにしたように、元来しよう油業界においては最上印が一致した価格で売られているのは戦前からの習慣ともいえるものであることは関係人の等しく認めているところである。戦前のことはしばらくおくとして、戦後一貫して最上印が同一価格で販売されているということは、換言すれば最上印の価格を代表するキッコーマン印の価格への追随が不断に行われたということであり、この追随を余儀なくさせたゆえんのものは前述のようなしよう油業界の特殊の事情による。原告会社は戦後常に希望価格の名目で再販売価格の指示を行つており、また原告会社の市況調査係は昭和二十八年末の価格改訂の時にいたつて突如設けられたものでないことを考えると、程度の差こそあれ維持行為も行つていたことは推測にかたくないが、原告会社の如くそのマーク・バリュー、生産能力、並びに問屋又び小売店に対する支配力が強大である生産者の再販売価格の指示は、名目が希望価格でありまたなんら特段の維持行為が用いられない場合でも、これが励行されることは当り前のことで、たまたま末端の若干の小売店に廉売が行われたとしても、最上印を象徴する一定価格を不安定ならしめる程度にいたらぬ限り、他の最上印の生産者は原告会社の価格に追随せざるを得ないものであり、少くとも戦後は価格の改訂に当つては常にキッコーマンへの追随が他の最上印の唯一の価格政策となつていたものである。右のような事情の下においては昭和二十八年末に行われたしよう油業界全般の価格改訂のさいもキッコーマン以外の他の三印メーカーの動きももちろん右の例外であり得るはずはなく、原告のいうように「三印は原告が再販売価格を発表するや直ちに追随」せざるを得なかつたのである。ただ今回の価格改訂に当つては、当時のデフレ経済の下で商況不振にあえぐ販売業者の濫売取締と生産者の代金回収の円滑を図る必要上原告会社は特に再販売価格の維持に力を注いだので、最上印を代表するキッコーマンの卸価格、小売価格は各区域において一定不動のものとなり、他の最上印のキッコーマンへの追随の必要を絶対化したものといい得る。仮りにキッコーマン印の価格が各区域又は各小売店において、不同であるとしたら他の最上印のキッコーマン印への追随の必要はうすくなるかなくなる。従つて審決において原告が「自己の製造販売するしよう油の再販売価格を指示し、これを維持し、もつて小売価格を斉一ならしめることにより他のしよう油生産者の価格決定を支配し」といつても、原告の昭和二十八年十二月末の再販売価格の指示以降の市場支配を昭和二十九年八月二日の審判開始決定の時又はその後の審決の時からふりかえつて観察するとき、いささかも因果関係の混乱はないのである。元来独占禁止法の対象は単純な偶発的な事実ではなく、原則として企業者の一連の事業活動である。本件の場合は大企業たる原告会社の市場支配へ向けられた過去から現在、さらに将来にまたがる一連の大きな歩みが対象であり、その一歩は全体の動きとの関連において評価されなければならない。「三印は原告が再販売価格を発表するや直ちに追随した」のは追随の基盤が確立されていたからであり、他の最上印にとつて追随が絶対化されるゆえんは原告会社の維持行為である。原告が「三印は原告が再販売価格を発表するや直ちに追随したのであつて、原告が再販売価格を維持したがためではない。」というところにむしろ重要な問題が伏在するのである。因果関係を極く形式的に論ずることによつて責任を回避することはできない。また原告は「再販売価格の発表それ自体は別段違法と認むべきものではない」というが、原告の再販売価格の指示は審決にも明らかにしたように再販売価格の発表それ自体ではなく、維持行為の裏打のある強制力をもつたものである。たとえ原告がなんらの維持行為を行わない場合でも、原告の場合は再販売価格の指示は違法である。一般的には再販売価格の発表それ自体は一種の希望に止るものとして違法でないといえるかも知れない。しかし原告会社のようにそのマークの力と事業能力によつて販売業者を完全に支配している場合には名目は仮りに希望価格であつても絶対の強制力をもつことは明らかである。それが市況調査係の訪問や荷止め処分によつて廉売防止策がとられている場合の希望価格は再販売価格の指示と異なるところはない。さらに原告は「原告が法の禁ずる再販売価格の維持をしたから三印もこれにならつて同様な法の禁ずる維持行為をしている。否その客観的必要性があるとなすにいたつてはそれがいかに不当な認定であるかいうまでもあるまい」と主張する。審決の認定するところが何故に不当であるかについて原告の明らかにするところはないが、しよう油は一般大衆に直結する商品であるからその品質又はマーク・バリューを化現するものとして生産者にとつても小売価格が最も重要な意味をもつ。従つて最上三印のキッコーマンへの追随ということもその小売価格に力点がおかれ、卸価格や生産者価格については小売価格をキッコーマンと同一ならしめる必要上、キッコーマンと同一価格としているものである。審決が「これと同格の他の三印はその製品の売値を「萬」と同一に保たざるを得ない事情にあり、これがためこれらもまたそれぞれ卸および小売価格を指示し、鋭意これが維持につとめるにいたつている」と認定したのを攻撃する原告の非難は当らない。
(四)原告は、原告会社は学者のいわゆる代表会社ではあつてもいわゆる支配会社ではないといい、また本件はハンド判事のいう「任意の追随」以外の何物でもないという。まず原告会社がいわゆる代表会社であるとの主張については、原告の価格が常に市場の諸条件を正当に反映したものであつたか否は別として、競争業者が追随したのは原告の価格が妥当なるが故におのずから一致したという類のものでなく、競争業者は好むと好まざるとに拘らず追随せざるを得ない地位におかれていたものであることは審決に示したとおりで、過去におけるその追随の様相を一見して明白であり、この意味において原告はまさに学者のいわゆる支配会社に当るものである。またハンド判事のいわんとしたことは、コーンプロダクツは主要同業者の全部を併呑しすでに生産の過半を占めており、さらに無理な値下によつて残存独立業者の営業をも不可能ならしめようと企てたのに対し、この場合コーンプロダクツの生産能力に限りがあつて価格低下によつて増加すべき需要に応じきれないとすれば競争業者は必ずしもコーンプロダクツの線まで値下することを強要されないが、事実は正反対で、コーンプロダクツの能力には十分の余裕があり全需要を賄うに足りるものである以上、独立業者はその価格まで引下げざるを得ないとし、独立業者らは法廷において彼らはコーンプロダクツの価格に随がつたと証言しているがこれは決して任意の追随とはいい得ないというにある。本件の場合コーンプロダクツの如く原告に競争者に追随を強要する意思があつたか否は疑問であるとしても、原告の意図いかんに関せず一度原告が価格を定めるときは他の三印はこれに随わざるを得ない関係にあつたことは審決にも十分説明したとおりであつて、断じて任意の追随ではない。本件の参考人石橋啓、石橋立二らが「必ずしも従わなければならないということはありませんが……」とか「商略上そうしたまでです」とかいつているのは、いわば問いつめられて架空の場合の観念論を述べているに過ぎない。商略上得策であるということは業者にとつては絶対の命令であり、従うか従わないか選択の余地はない。この事実はこれまた過去において値上の度毎に起つた現象を見れば一点の疑いもないのである。
(五)キッコーマン印の価格が定まれば後は自動的に価格が決定される市場秩序があるとか、最上三印はキッコーマンと異なつた価格を設定する自由はないとかいつた場合、ここにいう価格は再販売価格のみでなくその卸売価格及び生産者価格を含むものではあるが、それは観念的に分析すればそうなるということであつて、事実としては原告にあつても他の主要生産者にあつても価格決定は単一の行為であつて、生産者卸小売の各段階の一がきまれば多年の慣習による一定の値幅に従つて他の価格もおのずから定まるものであり、一の価格を決定するということはすなわち同時に他の二の価格を決定することであつて、各生産者ともこれを別々に行つたという例はない。審決において特に原告の再販売価格指示が他の生産者の価格を決定したといつているのは次のような見解にもとづくものであつて、決して原告のいうように被告がむりに違法の要素を結び付けようとしているのではない。すなわちしよう油の取引においては格付なるものがあり、これは価格により表現され、価格がやすければそれだけ格も下るとみなされる傾向が特に強いため、格を維持するためには三印は原告の価格に追随せざるを得ない事情にあることは審決(理由第一の二)において述べたが、そのさい明らかにした如く、格の徴表となる価格のうち最も主要なのは小売価格である。けだし小売値段はもつとも広く大衆の間に知れわたつたものであつて「今キッコーマンはいくらいくらである」ということがそのまま格付を代表する価格の標準となつている。しかしこれは生産者価格も一の格付の基盤となつていることを否定するものではない。さればこそ各生産者とも内密に割戻し等の方法によつて実質的には幾分の較差をつけながらも表面上の生産者価格はあくまでキッコーマンと同等に保つているのである。それは生産者価格もその取引業界の関する限りそれが一の格の徴表となつているからである。しかししよう油業全体から見ればその作用の比重は軽いといえる。格付の徴表とする価格のうちもつとも重要なのは小売価格であるから、末端小売価格をキッコーマンと同一にそろえるためにはさかのぼつて卸価格さらに生産者価格もキッコーマンのそれと同一にそろえる必要が存するのである。被告は現在主要銘柄の価格の間に各段階とも少しも較差が生じていないのは、原告の生産者価格に他の主要生産者がならうという作用を無視するものではないが、主として原告の製品の小売価格が基準となりこれに他の銘柄がならう結果さかのぼつてその卸売価格、生産者価格も一致するにいたつていると観察しているのである。
(六)原告並びに他の主要しよう油生産者らがそれぞれ再販売価格指示を行つたのは本件昭和二十八年十二月の価格改訂のさいがはじめてではない。昭和二十五年価格統制撤廃以後数次の価格改訂の都度これを行つて来た。価格維持の積極的努力の有無に関せず大体においてこれが守られそれが正しい価格として標準となつていたことは多くの証言によつて明らかである。たまたま表面にあらわれた原告の維持行為は後にいたつて行われたのであるが、維持行為の有無に関せず一般に標準と認められる権威があり、その故に他の三印は常にこれに追随していたのである。事後に行なわれた維持行為はすなわち原告の指示行為の性格を明白にしいつそう効果的にしたものに過ぎない。必ずしも時間的に原告の維持行為があつて後他の三印が追随したという関係ではない。ただ維持行為が行われる場合はキッコーマンの小売価格はより確固不動なものとなり、他の三印の追随を絶対的なものにすることとなるのである。
(七)本件審判においては原告のした再販売価格の表示が違法であるかどうかの問題には立入つてはいない。仮りに違法であるとしても本件で問擬されている私的独占の手段として行われたものであるからこれに吸収され、同一の排除措置をもつて足りるからである。私的独占の成立のためにはその用いた手段自体が違法であるか否かは問う必要がないことは審決(第三法の適用二)において示したとおりである。
二、再販売価格の維持について、 
(一)原告は原告会社の東京出張所の外務員が唐沢吉弥外四店の小売商に対し東京都味噌醤油商業協同組合の協定価格を順守されたい旨の希望を述べた事実をもつて、原告が東京都内における五千数百軒に及ぶ小売業者によつて販売されているしよう油の小売価格面の競争を完全に抑圧していると断ずるのは誇大な認定であつて実質的証拠にもとずかない認定といわなければならないと主張する。
しかし原告のいう右協同組合の協定価格なるものは実は審決(第一事実の認定の四及び五、第三法の適用の四)にも示したように、原告会社の指示価格であり、原告会社は右協同組合を利用してその指示小売価格の徹底と励行を図つているものである。前にも述べたように、原告会社の指示価格の励行されないことはきわめてまれな事であり、とくに昭和二十八年末のしよう油の値上の場合は審決(第一事実の認定の五)に示したとおり、しよう油生産者の廉売小売店に対する荷止めの方針が小売店間に伝えられて予め小売店を戒める措置がとられた。しかし主として右協同組合員外の小売業者の方面から例外的に生起する廉売行為は皆無とはいえないのでこれに対する取締の事例が審決に摘示した数例である。右協同組合の自主的な統制力は非常に弱いので原告会社の指示小売価格が励行され維持されるのは一に原告会社の小売店に対する支配力と維持行為によるものであり、この事実を正視するときは原告会社がその製品の小売の価格面の競争をほとんど完全に抑圧しているという認定が何故に誇大であるのか了解することができない。すでに右協同組合の協定価格が原告会社の指示にもとずくものであり、その維持励行は原告会社の小売店に対する支配力に負うものであり、さらに散発的に発生する廉売行為に対する原告会社の取締の一般方針とその実例が示された以上、審決の認定は当然である。審決に掲げた数例に加えてさらに原告会社の小売価格の維持行為を挙示しなければ右の認定をし得ないというようなものではない。この点の原告の主張は理由がないものである。かくしてキッコーマン印の小売価格が同一線に保たれる以上これと同格の他の三印もそれぞれ卸小売価格を指示して鋭意これが維持につとめるにいたり、その結果東京都内の需要の七割をみたす最上四印の価格が同一となりその間に価格面の競争は全く抑圧されているのである。
(二)原告は「……もともと協同組合は適法に協定価格を定め得るものである。かように当然順守すべきことを順守するように勧説することが何故違法なのか。ことに本件では組合の依頼によつて組合の代理人的立場でしたのである。……組合員外の者にまで組合の協定価格に従うよう希望したことはあるいは行きすぎであろうが、これとてあえて違法というには当らない」と主張する。この点については審決(第三法の適用の二後半)において被告の見解を詳細にしたが、少しくふえんすると原告は協同組合の協定価格をその代理人的立場で小売店に順守するよう勧説したというが、協同組合の協定価格は原告会社の指示した再販売価格である。この価格の順守を勧説することは自己の指示価格の順守の勧告であり強制である。審決摘示の事例においても相手方の小売業者は原告会社の市況調査係を単純に協同組合の代理人と了解して応援しているのではない。これら市況調査係らの言動は、原告会社の意向を伝えるものとして、あるいは原告会社の立場を代弁するものとして、相手方の小売店等を畏怖せしめたればこそ、一様に廉売行為を停止しているのである。しよう油販売業者にとつてはキッコーマン印は不可欠の商品であり、またその生産者たる原告会社のしよう油業界における地位から原告会社の動向にはとくに敏感である販売業者に、原告会社の市況調査係等の価格維持に関する行為を協同組合の代理人的立場でするものと了解せよということがむりな話である。原告は「組合員外の者にまで組合の協定価格に従うよう希望したことはあるいは行きすぎであろう」というけれども、原告会社の指示にもとずく協同組合の協定価格はもともと、協同組合独自の力では維持し得ないものであり、いわんや組合員外の小売業者に対する組合の統制力は全くない。原告会社が小売価格を指示しこれを維持するには協同組合員に対する取締はもちろんのこととして組合員外の小売業者にまで取締を拡げなければならない。そうでなければその指示価格は一千を超えるこれら組合員外の小売業者の方面から崩れてくるのは必定である。本件で原告会社の取締の対象となつた事例で数えても組合員外の小売業者の方が多いのである。これは原告会社のたんなる行きすぎではなく、その強力な再販売価格の指示並びに維持の決意を物語るものであり、原告会社の本来の価格政策の表現である。原告会社の価格統制の機構はこの市況調査係の外にも、運賃込同一卸値をもつてする小売店頭までの直配、小売店問屋間及び問屋蔵元間の画一的支払制度、キッコーマン会による共同集金、問屋店入分の制限等を挙げることができ、これらを仔細に観察するときは原告会社の価格政策の全貌を知ることができるのである。
(三)原告は、審決が組合の協定価格はすなわち蔵元の指示した再販売価格であるとしたことを、中間に協同組合の協定価格の介在したことを軽視するものとして非難し、たまたま原告の希望価格が一致したからといつて組合の協定価格の独自性を否認すべきでないと主張するが、この点に関する被告の見解は審決(第三法の適用の四)に述べたところに尽きる。あえて蛇足を加えれば中間に協同組合の協定価格が介在しておつても、それはたんに形式的に協同組合の協定価格として存在するに止まり、原告のいうように組合独自の価格ではない。現在しよう油業界の特殊な経済的基盤の上では原告会社にとつて小売価格の設定維持は価格政策の根幹であり、これを小売業者の決定にゆだねることのできないものである。ことに協同組合には自主的な価格の統制力がないのであるから原告会社の力にまつほかはない。そうすれば組合が原告会社の指示する価格と異なつた価格を設定することが無意味であり不可能であることはもちろんとして、原告会社の方からみても自己の意思と相違する小売価格の徹底励行に熱中することは考えられない。協同組合においても小売価格を協定することは競争の回避、恒常的利潤の保障の面から利益であるには違いない。しかしそのことから協同組合の協定価格の独自性を肯定することはできない。何となればいかに協同組合にとつて協定価格の設定が利益の大きいものであつても、その利益を自ら実現できない以上原告会社に従属せざるを得ないものである。本件で問題にした値上の前の昭和二十七年十一月の値上げ、さらにそれ以前の同年五月の値上げのときも、原告会社の指示価格と協同組合の協定価格とは一致しており、たまたま一致したという性質のものではない。
(四)原告は、原告会社の外務員が二三の小売店に対し組合の協定価格を順守するよう希望した事実はあるがこれを強制するため荷止めを実行したこともなければ荷止めをするといつて威圧を加えたこともないと主張する。この点の被告の見解は審決(第三法の適用の四の(三))に明らかにしたが、原告会社の市況調査係が訪問して「安売りを続ければ荷止めも止むを得ない(査第二十六号吉屋安平供述調書)」とか「この価格表で販売して貰いたい、もしそうでないと荷止めする(査第二十七号石塚正雄供述調書)」とかいえば相手方の小売店はそれが原告会社による荷止めであるとの意味に受取るのは当然である。この場合話をする方も話をきく方も荷止めを実行するのは原告会社であるという意識の下に立つて話をしているものと考えるのが普通である。これら関係人の供述が、むりに荷止めをするのは問屋であるという趣旨にもとれるような陳述に改められ、荷止めをするのはメーカーか問屋かあいまいなものにしたのは、業界関係人の多数傍聴する公開審判における特殊の空気と原告の尋問の仕方によるものであつて、全く事実に相違するものである。またこのような個人的な事例に止まらず引用乙第十二号証(藤原熊治供述調書)審判手続における参考人唐沢吉弥同小杉武の各陳述によれば、昭和二十九年一月の協同組合神楽坂支部の会合で廉売小売店に対する三印メーカーとくに原告会社の荷止めの方針が支部組合員に伝えられたことを認めることができる。原告会社はこのように協同組合を通じて一般的に小売店を戒めるところがあつたとみることができる。
審決が、荷止めが問屋によつて行われるか原告会社によつて行われるかよりも重要なことは原告会社の社員がかかる不利をにおわせて小売商に一定の価格を守ることを強要したことにあるとした点につき、原告は仮りに不利をにおわせたからといつて告知者がそれに対してある影響を与えそれを左右し得る地位にあることをにおわせたのでなければ告知者が強要したものとは認めることができない」と主張する。不利をにおわせる場合に、告知者が不利の実現を左右し得る地位にあることをにおわせなければ被告知者を畏怖せしめるに足らぬということは一般的には考えられるかも知れないが、本件の如き原告会社の外務員が小売店に対して荷止めを云々した場合、とくに原告会社が荷止という不利な事実の実現を左右する地位にあることをにおわせなくても原告会社の業界における地位から小売店を畏怖せしめ廉売行為を止めさせるに十分である。現に原告会社の市況調査係の訪問を受けた廉売小売店は廉売行為を止めているのである。また原告会社の市況調査係が小売店を訪問して安売りを止めなければ荷止めするといつた場合、小売店がたとえそれを原告会社が荷止めするのでなく、問屋が荷止めするのだという趣旨に了解したとしても、とくに原告会社が問屋の荷止めを左右する地位にあることをにおわせなくても永年しよう油販売業を営む小売店はそのくらいのことはよく承知している。協同組合の常務理事田辺鉄五郎が第八回審判で、しよう油代金の手形払制度の実施の点について「実際私共の相手は問屋です。私共の直接の相手は問屋です。過去の実績から徴しまして野田の生産者が値上げ値下げしないものは問屋のみでしたことは一回もございません。でありますから当然対象は野田です。」と述べたのは一般の小売店が問屋対原告会社の関係を完全な隷属関係とみなしている証左である。そしてそのような会社対問屋の関係をわざわざにおわせなければ強要にならぬという原告の主張は余りにも形式的抽象的な議論である。
三、競争の実質的制限について、 
原告の値上発表に対する三印の追随がある以上東京都内の需要の七割近くをみたす四印の価格は全く同一となることは明らかである。三印の追随を余儀なくする特殊の市場秩序の下では三印の価格がキッコーマン印と異ることはあり得ないところである。現に協同組合においても四印について同一小売価格を協定して組合員外にまで価格表を配付し、また小売店の代金支払について銀行払手形制を実施することと関連して協同組合から問屋並びに蔵元に対して従来にも増して小売店の濫売取締に力を注ぐよう要望し、問屋蔵元はこれを了承しているのである。一方原告会社以外の最上印の蔵元もおのおのその外交員を定期的に担当区域を定めて巡回させ、しよう油の品質包装に対する一般消費者小売店等の批判、売行並びに価格等を調査させて値くずししている小売店にはとくに外交員を差し向けて注意を与える等の方法により小売価格の維持励行につとめて問屋もこれに協力している。その結果きわめて例外に属するものを除いては都内の四印の価格は全く同一になつている。これをもつて都内四印の価格面の競争は全然抑圧されていると認定するのは当然であり、原告の非難は当らない。
四、排除措置について
(一)原告は、再販売価格の決定それ自体は違法でなく、またその決定した再販売価格を希望として表明したとて違法ではないとし、審決が原告に再販売価格に関する限り口にすることさえ禁じたのは正当な範囲を逸脱する違法な措置であると主張する。再販売価格の決定は当然表明することを前提とするであろうし、表明される以上、たんに希望価格とか指示価格とかいう呼称の相違で違法性が決定されるものではない。問題は表明された再販売価格が販売業者に対して強制力をもつか否にある。原告会社の製品であるキッコーマンのマーク・バリューは強大で販売業者にとつて営業上不可欠の商品であり、かつ問屋は原告会社に完全に従属しており、協同組合は常に原告会社の設定するところに従つて価格を協定し、その違反者に対しては原告会社の市況調査係による取締の手段も整備されているという特殊な事情の下では原告会社の表明する再販売価格は直ちに問屋又は協同組合を通して、あるいは業界紙等により小売店に伝えられることとなり、現実になんらの維持行為をしないでも強い強制力をもち、むしろ励行されないことが例外である。すなわち原告会社の再販売価格の表示は希望価格とか標準価格という名義で表明される場合でも原告会社のしよう油業界における地位から販売業者に対して強制力をもつもので、これを禁止することは本件の排除措置として正当かつ必要である。
(二)原告は審決が排除措置の範囲を全国的に拡大したことを非難するが、その理由についてはすでに審決(第三法の適用の五)において明らかにした。本件において審決が違反事実として取り扱つたのは東京都内のしよう油の取引分野における原告会社の私的独占である。これについては原告は審判手続において異議を尽したものであり、審決が排除措置の範囲を東京都内に限らなかつたのは排除措置を実効あるものとする上に必要やむを得ないことにもとずくものである。原告が、弁明の機会を与えず抜打的にした審決で手続規定に違反すると攻撃するのは当らない。 


第三、証拠関係 
 (一)原告代理人は引用甲第一ないし第五号証、審判手続における参考人岡田源吉、中沢純一、石橋立二、竹村平太郎、岡崎武右衛門、唐沢吉弥、満井保三、佐野長次郎、島重城、田辺鉄五郎、石橋啓、守田英雄、鈴木鐐助、戸野部富五郎、秋谷満寿、柴田孝、浜野茂利、水口寛、古屋安平、石塚正雄、岡田正夫、藤原熊治、小杉武、荒井政次郎、高梨小一郎の各陳述を引用し、
(二)被告代理人は引用乙第一ないし第二十九号証、第三十号証の一ないし三、第三十二ないし第三十八号証、第三十九号証の一ないし四、第四十号証の一ないし六、第四十一ないし第四十八号証、第四十九号証の一、二、審判手続における参考人岡田源吉、中沢純一、竹村平太郎、石橋立二、佐野長次郎、田辺鉄五郎、石橋啓、秋谷満寿、高梨小一郎、唐沢吉弥、鈴木鐐助、戸野部富五郎、石塚正雄、古屋安平、浜野重利、水口寛、小杉武、藤原熊治、岡田正夫、荒井政次郎の各陳述を引用した。 
 


理  由 
被告が昭和三十年十二月二十七日原告を被審人とする公正取引委員会昭和二十九年(判)第二号私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律違反事件について、別紙審決書写のとおりの審決をしたことは当事者間に争ない。原告は審決の基礎となつた事実はこれを立証する実質的な証拠がなく、その法の適用は独断又は不当であると主張するので、以下原告主張の順序に従つて判断する。 
一、他の生産者の支配について 
被告が審決において認定した事実の結論的部分を要約すれば原告はその製造販売するキッコーマン印しよう油の再販売価格を指示しかつ維持しもつてその小売価格を斉一ならしめることにより他のしよう油生産者の価格決定を支配し、東京都内におけるしよう油の取引分野における競争を実質的に制限しているというにあること、審決自体から明らかであり、ここに他の生産者の価格決定の支配というその価格とは、原告の主張する如くたんにその再販売価格をのみさすのか、被告の主張するように生産者価格をも含めるものかについては争があるが、審決全体からそのいわんとするところを見れば、しよう油業界における特質と原告の業界に占める優越的地位とからして他のしよう油生産者は原告のしよう油キッコーマン印の価格がきまればこれに追随せざるを得ない事情にあり、他の生産者は原告にならつて生産者価格、卸価格、小売価格を定めることとなるのであるが、その追随を余儀なくさせる最も重要な契機はしよう油の格付から由来するマーク・バリュー、品質及び価格の一体関係にあることからこれらの価格の中でも直接消費者大衆に向けられる小売価格が最も重要な意義をもつものであるとするのであつて、それらの内容は以下の判断においておのずから明らかにされるべきものであるから、この問題はここではこれ以上そのいずれであるかを決定する必要はない。
(一)審決が原告をもつて他のしよう油生産者の価格決定を支配しているものと判断したゆえんのものは、しよう油業界における顕著な特質として各メーカーの製品について格付が行われ、マーク・バリュー、品質、価格の一体関係が成立し、そのため原告の製品たるキッコーマン印しよう油の小売価格が同一線に保たれれば、これと同格の他の三印(ヒゲタ、ヤマサ及び丸金)はその製品の売値をキッコーマン印と同一に決定し維持しなければならないという事情にあるのであるから、原告が、その再販売価格を指定し維持する行為は、その当然の結果として他の生産者の価格決定を支配することとなるというにあることは審決自体から明らかである。この点につき原告は独占禁止法第二条第五項にいう「他の事業者の事業活動の支配」とはなんらか支配者の側でする制圧の要素がなければならず、その者の関知しない客観的条件の存するため、結果としてその行為が他の事業者の事業活動を支配することとなつても、それはここにいう支配ではないとして原告の行為は他の価格決定を支配したものということはできないと主張する。よつて按ずるに右法条に私的独占を成立せしめる行為として他の事業者の事業活動を支配するとは、原則としてなんらかの意味において他の事業者に制約を加えその事業活動における自由なる決定を奪うことをいうものと解するのを相当とする。しかしこのことから一定の客観的条件の存するため、ある事業者の行為が結果として他の事業者の事業活動を制約することとなる場合はすべてここにいう支配に当らないとするのは狭きに失するものといわなければならない。なんとなれば、法は支配の態様についてはなんらの方法をもつてするかを問わないとしているのであつて、その客観的条件なるものが全く予期せざる偶然の事情であるとか、通常では容易に覚知し得ない未知の機構であるとかいう特別の場合のほかは、一般に事業者はその事業活動を営む上において市場に成立している客観的条件なるものを知悉しているものというべきであるから、自己の行為がその市場に存する客観的条件にのつて事の当然の経過として他の事業者の事業活動を制約することとなることは、当然知悉しているのであつて、かような事業者の行為は結局その客観的条件なるものをてことして他の事業者の事業活動を制約することに帰するのであり、ここにいう他の事業者の事業活動を支配するものというべきであるからである。本件で市場に存する客観的条件とはしよう油業界における格付及びそれにもとずくマーク・バリュー、品質、価格の一体関係から他の生産者が原告の定めた価格に追随せざるを得ない関係をさすことは明らかであり、このような市場秩序の存するところで原告がその再販売価格を指示しかつ維持し小売価格を斉一ならしめれば、他の生産者はおのずから自己の製品の価格をこれと同一に決定せざるを得ざるにいたり、その間価格決定につき独自の選択をなすべき余地はなくなるというのであつて、これがすなわち原告の価格支配であるとする審決の所論は、そのような市場秩序があるといい得るかどうか、原告が小売価格を斉一ならしめているかどうかの事実の有無は後に見るとおりであるが、それはとにかく、その論理の構造においてはなんら不合理なものあるを見ないのである。ただ原告の行為に客観的条件が作用する場合であつても、原告の生産者価格が決定された結果、他の生産者がその格付を維持するためそれと同一の生産者価格を決定せざるを得ないとしても、この行為をこの側面からとらえて私的独占の一場合たる価格支配となし得ないことは被告が審決において認めるところである。しかしこのことから、生産者のする再販売価格の指示及び維持による他の価格支配もまた許されるとすることのできないことは多言をまたない。生産者がその生産する商品を販売するにあたり自らその販売価格すなわち生産者価格を決定することはそのなすべき当然のことであり、それなくしては生産者の事業活動そのものが許されなくなるのであるが、生産者がする再販売価格の指示及び維持は本来自己の事業活動そのものとは不可欠の関係にあるものではないのみでなく、むしろ多くの場合独占禁止法上不公正な取引方法として禁止せらるべきものに当ることを保しがたいのである。本件において原告がその再販売価格とくに小売価格の指示をしその維持行為をする限り、業界における原告の優越なる地位と相まちその末端の小売価格は少くとも東京都内において斉一となり、キッコーマン印しよう油はいずれの小売店においても画一的な価格で売られ、キッコーマンはいくらという一定の価格を帯びるにいたり、その結果これと同一の格付にある他の三印はその格付を維持するためこれと同一の小売価格を定めざるを得ないこととなり、ここに右小売価格から卸価格、生産者価格の三段階を含む価格体系を原告のそれと同一ならしめざるを得ないこととなるのはみやすい道理であるから、ひつきよう原告の再販売価格の指示及び維持行為が他の生産者の価格決定を支配することとなるのである。もし原告が再販売価格の指示及び維持をしなければ、原告の製品といえどもその末端の小売価格は、小売商協同組合その他小売商の間に価格協定がなされ、これが強力に維持されることとなる等他の事情の介入しない限り、必ずしも斉一に維持されるはずはなく、かえつて原告の商品相互の間にさえ活溌な価格競争を招来するであろうから、キッコーマンはいくらという一定の小売価格は指摘し得ないこととなり、自然最上印の小売価格も一定しないこととなつて、その結果、他の三印も必ずしもキッコーマン印と同一の小売価格を定めるということができなくなるとともにまたその必要もなくなるものといわなければならないのである。原告は審決のいう如き市場秩序は原告の作つたものでもなく、またその関知するところでもないとして、かかる客観的条件の作用によつて結果するところを原告に帰せしめるのは責任の本旨をあやまるものと主張する。しかし本件において原告の価格支配を判断するにあたり原告がその客観的条件を作つたものであることを必要としないことは前記説明からおのずから明らかであり、原告が多年業界に優越の地歩を占める事業者であることからすればこれを知らなかつたとすることの不当であること多言をまたない。この場合原告にこれを利用するという積極的な意思のあることはとくに必要ではなく、客観的条件存在の認識及び自己の行為がその条件にのつて一定の経過をたどることの認識があれば十分というべきであり、本件において原告にこれを肯定すべきことは前同様である。本件価格支配を原告に帰せしめることがなんら責任の本旨をあやまるものでないことは明らかである。そしてそれが原告に帰せしめられる以上原告の価格支配による私的独占そのものの中に公共の利益に反する要素は内在するものというべく、これをもつて公共の利益に反しないものと解すべきとくだんの事情は認め得ないところである。なお審決が格付といいマーク・バリュー、品質、価格の一体関係といつても、原告のすべての行為と無関係に他のしよう油生産者の価格決定が自動的になされるものというのでないことは審決の全体を見れば明らかであり、原告の再販売価格の維持行為の有無と拘りなく依然として他の生産者の追随が行われるというにあるのでないことも前記のとおりであるからこの点を前提とする原告の所論は失当である。
(二)原告は、審決がヤマサ、ヒゲタ、丸金の最上三印は自己の製造するしよう油の価格を決定するにあたり、原告のしよう油の価格と全く一致せしめなければならない客観的必要性がありまた次最上以下のしよう油の製造業者もまた前記価格と一定の開きを保たざるを得ない事情にあるとするのは、なんら実質的な証拠なき独断であると主張する。よつて按ずるに被告が審決においてあげた証拠でかつ本訴において引用する引用乙第一ないし第三号証、第六号証、第九号証、第十三ないし第十六号証第二十号証(以上順次に福島一郎、常世田忠蔵、秋谷満寿、石橋立二、石橋啓、藤原熊治、田辺鉄五郎、島重城、椎名正太郎、都辺道三郎の各供述調書)第二十八号証(野田醤油(株)出荷実績)第二十九号証(銚子醤油(株)出荷実績)第四十一号証(ヤマサ醤油(株)答申書)第四十二号証(丸金醤油(株)回答書)、審判手続における参考人岡田源吉、中沢純一、竹村平太郎、石橋立二、佐野長次郎、田辺鉄五郎、石橋啓、秋谷満寿、高梨小一郎の各陳述をあわせれば、しよう油のような調味品は食べてみてすぐその品質の良否が一般大衆に判別するというようなものでなく、長い間に確立された印(マーク)に対する信用がその品質を保証するものと解され、マーク・バリュー即品質の関係があること、またしよう油は一般大衆を消費者にもつ日用品であつて、大衆の直接利害関係をもつ小売価格が安ければその品質内容に対する信用を害することとなり、小売価格は品質の標準となつていること、その結果原則としてマーク・バリュー、品質、小売価格の三者が相互に他を規定し合う一体関係が成立していること、しよう油業界にあつては古くから最近の統制時代を通じマーク・バリューに対する級別と価格差が判然として最上、次最上、極上等の格付けが行われており、そのために前記のマーク・バリュー、品質、小売価格の一体関係は顕著な特質をなしていること、原告の製品であるキッコーマン印は他のヤマサ、ヒゲタ、丸金の三印とともに最上四印たるの格付を持しているが、中でも原告のキッコーマンのマーク・バリューはもつとも強く、しよう油といえばキッコーマンといわれるほどに名がとおつておる上に、原告の生産能力、出荷量とも他を圧しているので、他の三印はその価格決定にあたり、とくに小売価格についてはキッコーマンより高くするときは同格でありながら値段が高いとして当然売行が減少し、安くするときはかえつてその品質内容を疑われ自然格付に影響を生じることとなるのであえて価格競争を挑むことができず、結局常にキッコーマンに追随しこれと同一の小売価格を持することが自己の市場を確保するほとんど唯一の方策となつていること、次最上以下についてもそれぞれその格付に応じた一定の値開きが保たれ、最上印が値上をしない限り次最上だけでは独走できない関係にあること最上印相互の場合とほぼ同様であることを認めるに十分であるから、前記原告の指摘する部分の審決の認定は実質的証拠によつて立証されているものといわなければならない。なるほど前記引用証拠のうち引用乙第二号証(常世田忠蔵供述調書)中には「結局値上げの時期も価格もキッコーマンに追随するのが一番賢明で……」とか、引用乙第一号証(福島一郎供述調書)中には「ヤマサ、ヒゲタ、丸金等はキッコーマンより高くは売れないが、安くも売りたくない訳です」とか、審判手続における参考人石橋啓の陳述中には「妥当な価格であれば一緒に売つたほうが商売上得だというのであります」同岡田源吉の陳述中には「(ヤマサだけで独自に値上げするとか或いは価格をきめるということはできないのかとの問に対し)できないことはないんですが商略上やらないのであります」とか同中沢純一の陳述中には「まあ伝統的な呼び名と先程申上げましたがそういつたグループの価格になつておれば商売上得策じやないかというふうに考えます」とか「(実際問題として違つた生産者価格或いは卸、小売価格を出すということはむづかしいというのかとの問に対し)まあ商売上そうすることが最も有利だ一番いいというふうなことだと思います」とかの部分が散見し、これらによつてみれば、他の三印が原告の価格に追随するのは、そうすることが営業上有利であるから商策上の利害打算にもとづいてそうしているということがいえるであろう。従つてその意味では他の三印につき原告の価格と一致せしめなければならない客観的必要性があるといつても、その客観的必要性なるものが自然法則のように絶対不動のものであるというのでないことはおのずから了解すべきところである。他の三印がもし原告と同格を持しながら原告の価格に追随せずこれより安い価格を定めるとすれば競争上有利に立つこととなるはずであろうが、これを可能ならしめるには現に市場を支配している諸条件の変更を前提としなければならないものというべく、それが容易のことでないことは見易いところである。事業者が経済社会において事業活動に従事するのはもとより利益追及を目的とするのであるから利益の存するところにつき、不利益の帰するところにそむくことは当然のことである。たださきに説明したようなしよう油業界における特質と原告の業界に占める地位とからして、他に事情の変更のない限り、三印としては原告の価格に追随することが経済上有利であり、商策上得策であつて、経済人たる事業者がこの有利得策について原告に追随することが不可避の情況にあることは疑いを容れないものであり、その間他の三印の価格政策において独自の決定を期待し得る余地はないのである。換言すれば他の三印は、利益追及の目的を放棄しない限りは、好むと好まざるとにかかわらず原告に追随せざるを得ない立場に立たされているのであり、決していわゆる任意の追随というべきものではない。マーク・バリュー、品質、価格の一体関係の問題にしてもそれが自然法則における如き不可分離の必然的関係であることを要しないことはもちろんであるが、それは経済社会における問題であり、現実のしよう油業界の実情からして他に事情の変更のない限りこの三者の一体関係を否定すべき理由はないのである。次最上以下についてもおおむね同様の関係にあることはおのずから明らかである。
原告は仮りに原告がキッコーマンの小売価格を三印以下に下げても、これによつて直ちに原告のマーク・バリューを下げるとは限らず、逆に三印が小売価格を下げた場合は、キッコーマンが値下を余儀なくされるかもわからないとして、マーク・バリューと小売価格の関係を否定しようとする。しかしこれらの関係はしよせんは絶対的なものでないことは前述のとおりで、原告といえども市場の状況を無視した価格決定をし得るものでなく、その間おのずから一定範囲の制約は免れないものというべきである。原告の価格が他の三印と異なる場合を想定して、それがはたして原告の主張のようになるか、あるいは原告が文字どおり「天下一品」となるか、他の三印が値下を余儀なくされるかは、原告に関する限りその業界に占める優越の地位を除外しては論じ得ないけれども、他の三印の価格決定に関する限り前述の関係を否定することはできないというべきである。
(三)原告は、審決が原告の再販売価格の維持によつて競争者たる三印の再販売価格の決定を支配したとしたことを攻撃し、三印は原告が再販売価格を発表するや直ちに追随したのであつて原告が再販売価格を維持したがためではないと主張する。被告が審決において原告の再販売価格の維持行為として例示した二三の事例はいずれも昭和二十九年一月末から二、三月にかけての事であり、三印が原告に追随してその再販売価格を決定したのは昭和二十八年十二月末で、原告の値上発表の直後であるから、このことからすれば原告の右再販売価格の維持行為と他の三印の価格決定との間には因果関係がないように見える。しかし原告の再販売価格の維持行為は昭和二十八年十二月末の本件価格改訂の時以後はじめてとられたものでなく、他の三印と同じく従来から末端の価格の維持に格別意を用いて来たものであること、とくに原告についてはその業界に占める優越した地位からしてその決定した再販売価格はたんに希望価格又は標準価格という名目であつても販売業者にとつて最大の尊重を受けて来たことは審決の示す証拠で被告が引用する証拠によつて優にこれを認め得るところである。原告もいやしくも再販売価格を定めて発表する以上それが販売業者にそのとおり受け入れられてその価格が励行されることを期待するのは当然であり、また原告にはそう期待し得る能力があるものというべきであつて、そのような事情はもとより他の三印に理解されているものというべきであるから、このような事情の下ではひとたび原告が再販売価格を発表すればその価格は当然原告により維持されるべきものとして理解せられるのである。昭和二十八年十二月末の価格改訂のさいも例外であることを認めるべきなんらの事情もなく、現に審決認定のような小売協同組合の動向もからんで原告の維持行為はむしろ一段と強化されたのであり、そのことは原告の発表した再販売価格が本件において原告のいうような単なる希望価格、いいかえれば守られても守られなくてもよい価格としての意義しかないというものではなかつたことを裏付けるに十分である。そしてその全体の観察の上で原告の再販売価格の維持が結局において他の三印の価格支配に因果関係を及ぼしたとすることは決して不当ではないのである。この点の原告の主張は形式的に過ぎ、事態の実質的意味を遠ざかるものであり、採用できない。
原告はまた再販売価格の発表それ自体は違法ではないと主張するが、本件昭和二十八年十二月末における原告の再販売価格の発表はたんなる希望の表明に過ぎないものではなく、十分その維持さるべき裏打のある発表であり、またしかく他の業者に理解されていたものというべきことは前記のとおりであるのみでなく、原告のいわゆる再販売価格の発表は審決において本件私的独占を構成すべき行為の一環としての意義を有するものとされていること明らかであつて、私的独占を組成すべき個々の行為がそれ自体違法であるかどうかは私的独占の成否に影響ないものというベきである。憲法は営業の自由を保障しているが事業者の営業活動といえどもそれが私的独占を組成すべきものとなるときは公共の福祉に反するものとして制限を受けることは当然のことである。
さらに原告は、審決が原告がその再販売価格の維持により他の三印の価格決定を支配したとしながら、他方において三印もそれぞれ卸、小売価格を指示し鋭意これが維持につとめているとした点を攻撃する。しかし審決のこの点の趣旨は原告はその製品キッコーマンの再販売価格を指示しかつ維持することによつて東京都内のキッコーマンの小売価格を斉一ならしめているので、他の三印はしよう油業界の特殊の事情の下で原告の右価格と同一の価格を決定しかつ自らその再販売価格の維持によつて値崩れを防止しなければならない立場にあつて、現にそうしているというにあること審決自体によつて明らかである。そしてこのことはもし原告にして再販売価格の指示及び維持をしない限り、原告の商品キッコーマンの再販売価格とくに小売価格の決定はもつぱら市場の法則にゆだねられ、東京都内においても必ずしも画一的価格を保持し得ないであろうし、そうなつたあかつきは他の三印はもはや追随すべきキッコーマンの一定の小売価格は存しないこととなり、従つてまた自己の小売価格を斉一に保つべき協力は必要としないこととなり、その結果他に特段の事情のない限り、最上四印の小売価格はここに価格競争を招来するであろうとの見解に基礎づけられているものであることは審決全体からこれを理解し得るところであり、その見解は肯認するに足る。この点の原告の非難は当らない。
(四)原告は原告の再販売価格の維持行為が他の三印の少くとも生産者価格の決定に因果関係ありとすることは理解できないという。しかし他の三印の生産者価格は同時にその卸、小売価格とともに決定されたものであり、生産者価格をまず定めてしかる後その再販売価格を定めたというものでないこと審決の示すところであり、原告の価格改訂によつて直ちに三印はその生産者価格を含めた価格体系を決定したものであること明らかであるから、ここでは生産者価格の決定それ自体に必ずしも重要な意義あるものではない。そして三印の右価格決定は時間的には原告の再販売価格の発表の直後になされたものであるけれども、その事柄の実質的意義は要するに原告の再販売価格の維持によつてその小売価格が斉一ならしめられていることが他の三印の価格追随を導いたものであることは前記のとおりであり、その間に因果関係の存することは明白である。原告がその生産者価格を発表するだけで再販売価格を発表しなかつた場合に三印がその生産者価格を原告と同一に決定するかどうかは本件の問題ではないのである。
(五)原告は、三印についてその卸価格、小売価格はそれぞれ問屋及び小売商が決定するのであつて三印の生産者が決定したものではないから、原告が他の三印の再販売価格の決定を支配したということにならないと主張するが、審決の挙げる証拠で被告の引用する証拠によれば他の三印がそれぞれ原告に追随してその卸価格、小売価格を決定したことを認めるに十分であり、この点の主張はあえて事実を直視しないものというべく失当である。
(六)さらに原告は原告会社は学者のいわゆる代表的会社ではあつてもいわゆる支配的会社ではないと主張する。その趣旨は結局他の三印は独自の利害較量からたんに原告に追随しているに過ぎず、原告が他の三印の価格決定を支配しているものではないというに帰するところ、その主張の理由のないことはすでに前記説明からおのずから明らかであり、原告会社を呼ぶにいわゆる代表的会社をもつてするか支配的会社をもつてするかは問題を解決するものではない。
(七)原告は、審決が原告を目するに問屋及び小売店に対して絶対の強制力をもつとする点は実質的証拠なき独断であるという。しかし審決の挙示する証拠で被告の引用するところを綜合すれば、原告は東京都内において卸問屋の主要なものと古い取引関係をもち、キッコーマン印の市場に不可欠な需要を基礎とし、それに加えるに距離の遠近にかかわらず運賃込同一卸売値をもつてする小売店頭までの直配制、小売店問屋間及び問屋蔵元間の画一的支払制度、キッコーマン会の組織等一連の完備した機構の作用により卸売機関はほとんど完全に掌中に握り、小売商に対しては以上の諸制度のほか東京出張所内に数名の外務員を常置して絶えず直接小売店と接触を保ちいやしくも値くずしをする業者があるときはたちまちこれに干渉してやめさせる等の方法によつてその販売価格を看視しているという審決認定の事実を認めるに足り、以上の事実によつて考えれば原告が卸商に対してはもちろん小売商に対しても強い支配力を有すると判断することは相当というべきである。そして小売店は五千余名からなる協同組合を組織していて、その力のあなどりがたいことは当然であるが、この協同組合自体も原告の協力なくてはその協定価格(それが実質的に原告の定めた小売価格であることは審決のいうとおりである)を組合員の中にさえ維持することが困難であり、いわんや一千名内外にわたる組合員外の小売商に対しては組合はなんら独自の強制力をもたず一に原告に頼つてその濫売防止を求めるほかはないものであることも審決の挙示する証拠上明らかである。これらの事情を綜合すれば原告が販売業者に対していわゆる絶対的強制力を有するものと判断するのはなんら不合理ではなく、審決のこの点の認定は実質的証拠により立証されているものというべきである。
(八)原告は、被告は審決において原告が他の三印の価格を「萬」のそれと同一にそろえるように仕向けることをその営業政策としているかの如く見、かつこの根本思想の下に事案を判断しているもののようであるが、これは根拠なき独断であり偏見であるという。この点は原告も自認するとおり審決がその事実認定においてとくにこれを明示するものでないが、本件事案の判断に関係する限度で審究するに、原告の引用する証拠中例えば審判手続における参考人秋谷満寿の陳述によれば、原告会社としては四印からさらにぬきんでて一つになり価格においても特別の価格を持し文字どおり「天下一品」となりたいという心持で努力しているということはよく理解できるが、前記のような格付を中心とするしよう油業界の実状の下において、原告ひとりが他の三印の追随し得ない特別の価格を設定し、独走よく天下一品たり得ることは、きわめて困難であり、多くの日子と多額の資金を注入して、しよう油業界に成立している市場秩序の変更に成功することを前提としてはじめて可能であると解せられる。それ故それまではまずもつて他の三印が追随を余儀なくされ得る限度の価格を決定することが原告の価格政策の基調となつているものと推認すべきであり、従つてそれは具体的には市場の状況を反映し、かつ正当な原価計算にもとずくものとして成立するのである。原告の定める価格がかかるものである限りそれはしよう油業界を支配する市場秩序の作用に従い他の三印によつて追随されるべきものとなり、それはもとより原告の予期するところであることは前記のところからおのずから明らかである。原告のこの点の主張は理想論であり、現実の問題としては直ちに肯定しがたいところである。
(九)原告は東京都内の四印の小売価格が同一となつたのは小売商協同組合の協定のためであり、原告の再販売価格の指示維持とは無関係であると主張する。しかし本件事案に関する限り原告が再販売価格を発表指示し、他の三印は遅滞なくこれに追随し、小売商協同組合はその後においてこれらの再販売価格とくに小売価格を受け入れるかどうかについて議し、結局丸金については一時おくれたけれども他は実質的にこれを受諾してこれを組合の協定価格と定め、その後丸金についても同様となつたものであること、組合には独自の統制力が弱く原告はじめ最上印らの協力によらなければ組合員内部の値崩れ防止ができない状態にあること、いわんや組合員外のそれについては組合はなんらの干渉をもし得ず一に原告らに頼らざるを得ない事情にあること等審決認定の事実の下では、原告の再販売価格の指示及び維持によつて東京都内の四印の価格が同一となつているものとする審決の判決の判断は相当であり、中間に協同組合の価格協定が介在したからといつてその因果関係を否定せしめるには足りない。本件以後の価格改訂については審決のふれるところでないから、それがはたして原告主張のとおりであるか、そうとすれば何故にそうであるかについてはこれを認めるに由ないものというべく、そのことからさかのぼつて前記結論を批判するのは相当でない。
二、再販売価格の指示及び維持について 
(一)原告は再販売価格の指示をしたことはないと主張するが、この点は審決のかかげる証拠で被告の引用する引用乙第三号証、第十六、第十七号証、第四十九号証の一、二審判手続における参考人秋谷満寿の陳述をあわせればその事実を認めるに十分である。その形式が「御願」とあり「御実施下さるよう特別の御配慮賜わり度御願申上げます」とあつたからといつてそれが再販売価格の指示であるとするに妨げないと解すべきこと審決の説明するとおりである。審決はこの再販売価格の指示そのものを独立した違法行為として取り上げたものでないことは審決の全体を通じて自明であり、私的独占を構成すべき行為の一環たるある行為が独立して独占禁止法上違法とされるかどうかは独占の成否と直接の関係がないこと前記のとおりであるから、原告の右にいう再販売価格の指示行為がはたして不公正な取引方法としてのそれに該当するかどうかは本件で判断の必要がない。しかしそれがたんなる希望であり、小売商が自ら決定すべき価格についての参考意見であり、照会に対する回答であり、それ以上の何物でもないとするのは事実に反するものであることは前記証拠上明らかである。
(二)さらに原告は再販売価格の維持行為をしたことはないと主張するがその趣旨とするところは原告会社の外務員が小杉武ほか四名の小売商に対して協同組合の協定価格を守るよう勧説したことによつては再販売価格の維持とはならないというにあつて、右にいわゆる勧説行為そのものを否定するわけではない。よつて右の行為をもつて原告の再販売価格の維持といい得るかどうかについて原告主張の順序に従い検討する。
(1) 協同組合の協定価格が原告の発表した再販売価格たる小売価格と一致したものであることは原告の自認するところである。従つて協定価格を守るように説くことは組合が原告のかいらいであるかどうかに関係なく原告の定めた小売価格を守るように説くことと同趣旨である。組合員に対しては協定価格を守るよう説く方がより説きやすいであろうし、それによつて協定価格が守られれば原告の定めた小売の価格は維持されるわけであり、その表現にこだわる必要はないのである。原告会社の外務員らは組合の依頼にもとずきその代理人的立場でしたという。しかし組合自体に説得力のない場合にたんなるその代理人にそれ以上の説得力があると考えることは不合理で、なんらか加えるものがあるとすれば、それはその代理人たる者の固有の地位に由来するというべきであるが、それはそれとして、原告がその外務員をして小売商につき調査報告せしめている事項にはそこで売られている小売価格がいくらであるか、濫売があるかどうかということのあること引用乙第三十九号証の一ないし四、第四十号証の一ないし六の市況調査報告書により明らかでありキッコーマンが末端においていくらで売られているか、「濫売」がなされていないかどうかがたえず原告会社の関心事であつたことは明らかであり、右外務員らが協同組合から依頼されて協定価格の順守を説得したとしてもそれが全く原告会社の小売価格維持行為でないとする理由とはならないものというべきである。いわんや組合員外の小売商に対する説得にいたつてはたんに行き過ぎというに止まるものでなく、原告会社の一般方針と合致するものであること審決の説明するとおりであると解すべきものである。
(2) 原告は原告すなわち蔵元で荷止めするといつたことはなく、それをにおわせたこともないと主張するが、この点は被告が審決において第二証拠の摘示五の事実中列記事例(イ)(ロ)(ハ)(ニ)(ホ)(ヘ)についての証拠として挙示する証拠(これらはいずれも被告が本件訴訟において引用するところである)を綜合すればこれを認めるに十分であり、原告の引用する証拠によつて右認定は左右されないと解され、この点に関する審決の第三法の適用四の(三)における説明は相当である。従つてこの事実はこれを立証する実質的証拠があるというべきである。この場合告知者に荷止めを実行する権限があつたかなかつたかは必ずしも問題ではなく、相手方が荷止めの実行を感得すればその意義は同一であり、前記証拠によればこれを肯定すべきことは明らかである。
(3)原告の外務員が市況調査係としてする仕事のうちにその商品の末端における小売価格の状況いかんということの存することは前記のとおりであり、絶えず小売商と接触を保ちつつその小売価格を看視し、時あつて値くずしする者に対してはその価格(それが組合の協定価格という表現であつてもその効果は同一である)を守るべき旨を説くのが外務員であることからすれば、かかる外務員が再販売価格維持の先端を担当するものでないとすることを得ないものである。原告の引用する参考人戸野部富五郎(原告会社東京出張所市況調査主任)岡田正夫(同市況調査係)の陳述によつても、安売防止のため小売商を説得するのは、組合からの依頼によるものとしても、原告会社の行為としてなされているものである消息をうかがうに十分である。
(4)右外務員らの行為が組合にたのまれ外務員が自発的にした偶発的なもので原告の営業方針にもとずくものではないとの主張が事実にもとずかないこと右(3) に説明したところから明らかである。そして原告がかような外務員の制度をその主張の他の制度とともに-それだけのためではないとしても-その再販売価格の維持のためにも用いているものと認めるべきことは審決の説明するとおりであり、原告の再販売価格維持が原告の方針であることを否定せしめるものはない。
 (三)原告は審決は組合の協定価格が中間に介在する事実を軽視すると非難する。審決が組合の協定価格を軽視したかどうかはともかくとして、中間に協定価格の存するとの一事によつて原告の再販売価格の指示及び維持行為を軽視し得るものでなく、その四印の価格決定への因果関係を中断せしめるものでもないと解すべきことは審決がその第三法の適用四(二)において説明するとおりであり、右説明は肯認するに足りる。生産者たる原告と小売商の協同組合の利害が一致して原告の再販売価格が組合の協定価格となつた場合、組合員相互は協定価格が守られてその間に価格競争が回避されることはその欲するところであるが組合自体にはその協定価格維持の能力がなく原告の協力を必要とするほかないとするのであれば、同じく利害一致の結果といつても組合の価格決定には大幅な自由はなく、要するに原告の発表指示する価格を無視し得ないこととなるのはみやすい道理である。この程度の組合の力をも仮りに独自性と呼ぶとしてもその独自性の故に原告の再販売価格の指示及び維持行為の影響力を左右し得ないことは明らかである。
三、競争の実質的制限について
原告は、審決が東京都内の需要の七割近くをみたす四印の価格は全く同一となりその間に価格面の競争は全然抑圧されているとすることを攻撃する。しかしこの結果そのものは審決の挙示する証拠で被告の引用するものによつて争い得ない明白な事実として肯認するに足り、各印の再販売価格の維持にもかかわらずたまたま散発する二三廉売の事実によつては大勢を左右するものではない。そしてこの結果こそは実に原告の再販売価格の指示及び維持により東京都内におけるキッコーマン印の小売価格が斉一ならしめられていることによるものとするのが審決の立場であり、その正当と認めるべきこと上記説示したとおりである。そしてかかる事態が東京都内におけるしよう油の取引という一定の取引分野における競争を実質的に制限するものであることは多言をまたない。この点の原告の攻撃は失当である。 
四、排除措置について 
(一)原告は、審決が原告に対し再販売価格に関する限り口にすることすら禁止したのは予防措置としての正当な範囲を逸脱すると主張する。しかし再販売価格の決定は表示することを前提とするものであり、表示できない再販売価格は無意味である。そしていつたん表示される以上それは審決認定のような事情の下にある原告会社の指示する再販売価格として販売業者に対し、強い強制力を有することは従来の実情からおのずから理解し得べきところである。この再販売価格の指示がそれ自体違法であるかどうかは問うところでない。審決認定の如き原告会社の私的独占を排除し再び同様の方法による私的独占を防止するためには、同じ条件の下において考える限り、かかる再販売価格の表示それ自体を禁止することは必要な措置というべきである。所論は採用できない。
(二)本件が当初から東京都内における原告の私的独占を問題としたものであり、審決において認定された事実も東京都内における原告の私的独占にあることは明らかであるところ、審決がその主文において命じた排除措置は東京都内におけるものに限定されていないことは右主文自体から明らかである。この点は審決が第三法の適用五において説明するところによれば、もつぱら東京都内のしよう油取引の自由競争を回復せんがためであること明らかである。独占禁止法は公正取引委員会に同法違反の行為排除のために必要な措置を命じ得る権限を与えている。その命令は原則としてそれに必要なものに限定されるとともに必要である限りその内容に制限はないのである。そして審決が右の個所において示すとおり、原告はそのしよう油を全国一円にわたり遠近を問わず運賃生産者持ち同一の価格で販売しているから東京都以外について再販売価格の指示を認めればそれが従来の惰性により都内にも有効なるかの如く解されるおそれがあること、隣接県をはじめ他の地域に再販売価格の維持が行われるときはそれが都内に反映して販売業者を心理的に拘束するおそれがあること、ことに多年統制期間中に馴致された気風のため各販売業者に自主的に自己の販売価格を定めるべきものとする自覚に乏しいところでは右のおそれは大であるという事情の下では、原告の東京都内における価格支配による私的独占を排除するためには原告の再販売価格の指示及び維持を東京都内に限つて禁止するのでは不十分であり、これを都外にわたつて拡大することは、その止むを得ない必要な措置として是認するに足りる。これを必要ないものとする所論は採用できない。 
次に公正取引委員会が審判手続を経て事件を終結し審決をもつて排除措置を命ずるにあたつては、いかなる内容の排除措置を命ずるかについてあらかじめ被審人の意見弁解を徴すべき明文の規定は存しない。その審判の対象となつている事案について意見弁解の機会をもつ以上、その排除措置の内容についてまでその意見弁解をきく必要はなく、この点の被審人の利益の擁護はもつぱらその排除措置が当該違反行為の排除に必要なりや否の一線によるものと解するのを相当とする。従つて本件審決は手続規定に違反するとの原告の主張は理由がない。
以上の次第であるから原告の本訴請求は理由がないものとしてこれを棄却すべきであり、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。 

昭和32年12月25日

東京高等裁判所第三特別部
裁判長高等裁判所長官 安倍恕
判事 藤江忠二郎
判事 浜田潔夫
判事 猪俣幸一
判事 浅沼武

 



 

 


2023年01月17日